2016年12月31日土曜日

神無月 霜月 師走 合併号

 三か月に及ぶブログの更新放置。合併号なんて言っちゃって、週刊ジャンプかよって感じですが。だいぶ記憶もあやふやなので、最近の事から遡って行こうかと思います。

▼師走
 年末はイベントが押し寄せてきますね。
 日本と同じく、コンサートや忘年会などの予定も入ってきますが、何と言っても、欧州ではクリスマスが最も大切な一日になります。特にドイツでは「クリスマス・マーケット」が開催され、多くの人々がクリスマスに向けての準備にいそしみ、幸せな時間を過ごします。ドイツ以外でも「冬の楽しみ市」(BXL)などが行われますが、やっぱり本場はドイツなんですね。僕は、Aachen(アーヘン)のクリスマス・マーケットを訪れたのですが、"地元"ブリュッセルの雰囲気とは全く違って、とても印象的でした。
 
 そんな中で、ベルリンでは悲しいテロ事件が起こってしまいました。それだけでなく、世界の転換点であることを突き付けられる出来事が多々ありましたね。イギリスの欧州離脱、トランプ氏の米大統領当選、そのほかにも、シリア・アレッポでの紛争や、、、思い返せばブリュッセルでのテロも今年でした。個人的にも、環境の変化を感じざるを得ない出来事が幾つかあり、諸行無常の響きを感じている思いです。

 さて、12月の中頃には、我が師匠であるPiet・Kuijikenの伴奏で、シューマンの協奏曲を本番に乗せました。シューマンの協奏曲って、、、難しいんですね(苦笑)
 思っていたよりも技術的に苦労する部分が多くて、悶々と練習する日々だったのですが、本番を経て、なんとか形になってきました。

 そんな師走の日々。

▼霜月

 11月は自分にとって、音楽的に確信めいたものを掴んだ月でした。
 その確信を得るきっかけも、自分の中で確かに自覚できるものでした。きっかけは、いつもの積み重ねの中に眠っていて、それにも関わらず、積み重ねの中の死角に隠れていたように、ひょっこりと顔を出して来てくれた。そんなような瞬間でした。
 なにかに「至る」ためには、同じことの繰り返しと、その中での"気付き"の積み重ねが大切であることを感じました。

 そんな境目を見つけた11月。

▼神無月 

 10月。今年の中で最も苦しんだ月でした。正確に言うと、11月の中頃までは苦しんだのですが。
 まず何といってもやる気が出ない。気分転換を図る試行錯誤を繰り返しても、一向にピアノに気持ちが向かわない。夏の講習会を経て、色々と技術的に完成しつつあることを感じつつも、自分の中に何か障害を感じてしまい、鬱々とした日々を過ごしていました。
 想像するに、譜読みの曲も多かったことと、夏まで頑張った集中力の跳ね返りが来たのかなぁと、そこらへんに原因があるんだろうとは思います。

 でも、音楽的な気付きを得るために必要な期間だったのかもしれないですね。少しだけピアノから気持ちが離れたことは、逆に自分を俯瞰する良い機会になったのかもしれません。

 ま、結局はよく分かりません。


▽さて、来年は月毎の更新よりも、その時々に訪れた場所や出来事を記していきます。そうしないとサボっちゃいそう。。。そうじゃなくてもサボっちゃいそうだけど。。。

 良い一年でした。ありがたいことです。来年は、環境の変化の年になりますが、しっかりと自分を見つめて過ごしていこうと思います。

 そして、常に世界の平和を祈ります。人々の心に安寧がお訪れることを願います。
 お互いがお互いを思い、尊重する。
 自分の中でも、とても難しい作業だと思うし、引き裂かれそうな矛盾に苦しむこともありますが。
 まずは一人として、自分のなすべき事を成し、生きている喜びを感じ、生きている責任としても、人生を楽しむ。
 人生の喜びの一端として、音楽があることを知ってもらい、提供する。
 
 これからも良い日々を過ごしていきましょう。

 
  
 






2016年10月2日日曜日

新しい一年 新しい曲 新しい挑戦 長月

 日本の新年度は、桜が舞い新緑も美しくなる四月・卯月に始まりますが、欧州の新年度は、秋の訪れを知らせる冷え込みを感じる長月・九月から始まります。今回は、長月のそんな模様について記します。

 ▼九月の欧州では、新しい年度が始まります。
 私の住んでいるブリュッセルでは入試や追試が行われ、続いて学校への登録等があり、また、レッスンの予定や室内楽のグループを組んだりと、新しい歯車の動き始める月です。

 そんな中で僕はと言うと、ついに新しく、副科ですが、チェンバロに取り組む手続きをしています。
 ベルギーに引っ越しをして来てから初めて出会った"古楽"という 音楽のおかげで、昨年度は特に深い学びをする事が出来ました。そしてこれから、より幅広い表現の可能性を得るためにも、きちんと古楽と向き合うことも悪くないのでは思っています。

 もう一つの新しい事として、チェロとのデュオを含むコンサートを行う運びとなりそうです。
 曲目はJ.Brahmsのチェロソナタop.38を含むもので、新しいレパートリーなのですが、昨年にブラームスを多く学んだことが十分に生かされる機会になると期待しています。

 もちろん同時に、新しいレパートリーも増やしていかなくてはいけない。
 シューマンのピアノ協奏曲や、ショパンやドビュッシーのソロ曲も仕上げていかなくてはいけないので、なかなか慌ただしい一年の始まりです。
 
 あ、滞在許可証も更新しに行かなきゃ。

 僕の住んでいるサンジル市の市役所は、とても手続きがスムーズで助かるのですが、いかんせん、滞在許可についてはパリ時代のトラウマがあり、毎年ドキドキしています。早めに行こう。



2016年9月3日土曜日

長月のはじめに

 2015年度に修了したマスターのディプロムが出来上がったので、受け取りに行ってきました。分からないフランス語に必死に食らい付いていった2年間の結果でもあり、とても嬉しく満足しています。

 フランス語での授業は本当に分からなくて、シラバス(授業内容の書かれた冊子)を丸暗記するために、一科目につき30~50時間は、ノートに内容を書いて書いて、"手"が内容を覚えるまでカキマクッテ!!勉強しました。おかげさまをもって、人生で初めて腱鞘炎になりました、、手がカチコチになって動かなくなった。ピアノを弾いていてもなった事ないのに!!
 勉強のサポートをしてくれたアドリアンや、ゴティエ、藤池さんには、感謝をしてもしきれません。本当にありがとうございました。

 そしてこの留学も、なんと次年度で7年目に入ります。光陰矢の如しとは正にこの事で、もうビックリするしかありません。特にこの一年は、自分自身でも大きく成長したことを感じ取れた一年でもあり、とても充実していました。

 しかしながら、そろそろ一つの区切りを見付けなくてはいけないとの思いもあり、来年2017年には日本へ完全に帰国をする予定です。と言っても、帰国は10月か11月になるのですが、あっという間の一年になることは明らかだと思います。

 次年度が最後の一年です。期限を決めたことで、ますます集中して学ぶことができると思います。この一年を特別で素晴らしく意義深い一年にするために、また頑張ります。

 皆様におかれましては、夏休みも終わり、年末に向けて再始動の時期かと思います。お体に気を付けて健やかに、長月の日々を過ごしてくださいね。

尾関友徳




八月 葉月 ドイツ講習会

 今回は7月に末から八月の中旬までにかけてドイツはschlitzで行われた講習会・PIANALE(http://www.pianale.com/)について。その思い出を記します。

 ▼ブリュッセルから電車で三時間、フランクフルトで乗り換えて一時間と、バスに乗り換えてようやく辿り着く位置に、このschlitzは位置しています。
 この講習会には去年も参加していて、今年は二回目。
 自分でも何故ここに戻ってきたのか分からなかったのですが、参加することにしました。
 というのも、なんと言ってもこの講習会は長く辛い。普通の講習会が一週間程度なのに対して、このPianaleはなんと20日間。プール以外に何もない場所なので、なかなかストレスの溜まる講習会なのです。

   しかしながら、ここの宿泊施設はまずまず。僕は相部屋を選択しました。
 今年の同居人はキューバ人のダリオ。とても親切で明るく、気遣いもできて、おかげで凄く気持ちよく期間中を過ごすことができました。

   この講習会の良いところは、期間中に大小合わせて12回のレッスンがあり、最低でも2回のコンサート(一人10分)に出演できる所です。
   先生方も素晴らしい方ばかりで、様々な個性に接することができます。
 そしてその様々な意見の中から、共通の意見を見付けたり、音楽の違いを考えたりと、ピアノを学んでいく上で非常に糧となるものを学ぶことが出来ます。

 また、ピアノを学ぶ同年代の同胞と長く時間を共有できるというのも、魅力の一つです,
 今回も、まだ二十代前半の子の才能に刺激を受けたり、一生懸命練習している跡の聞き取れる演奏を耳にしたり、完成された演奏家に出会ったりと、素晴らしい仲間に会えました。

  彼らとは、一緒にビールを飲んで話したり、プールに行って飛び込んだり。バーベキューをしたり。カードゲームをしたり。引っ掛けゲームをしたり。
 時には励まし励まされ。将来の成功を祝い。時には政治について語り合い、民主主義と社会主義、民族の独立、今の時代について語り合ったり。(英語で(泣))
 今回は本当に楽しかった。
 相変わらずの昼食や夕飯の不味さも忘れられる日々でした。
 彼らと、またどこかの講習会やコンクールで再開するのが楽しみです。


反省:
↓肖像権とか?大丈夫よね。










2016年8月25日木曜日

七月 文月

 さてさて一体、先月は何をしていたことやら。
 七月末からドイツの講習会に参加をしていたのは、これはまた次回のお話。
 少しだけ、スペインに赴いた時の事と、写真を載せてみます。

 今回は、スペイン南部の地中海に面する町、Xabiaに行ってきました。
 と申しましても、このXabiaにたどり着くには一苦労で、最寄りのAlicante空港から電車で約二時間半。一日の本数も少なく、当初の予定を変更しAlicanteで一泊する羽目になりました。

 いつもの如くbooking.comで安宿を予約。
 今回はいわゆる民泊で、イタリア人(Brescia)とトルコ人の男性と一つ屋根の下で過ごしました。
 お二方共にタドタドシクも英語を話され、またこちらもギコチナイ英語を駆使してコミュニケーションをしておりました。

 イタリアの男性はバレーボールの練習をしにバカンスを利用して?Alicanteでミニ合宿をしているらしく、既に相当な日焼けをされていました。
 そんな中で彼は「My dream is」...と話し始め、「いつかここのような場所に家を買って住みたいんだよ」と仰っていました。
 僕は内心で、「いや、家なんか買わんでも、近いんだから、いつでも来れるやんけ」と思いつつも、何故だかこの「My dream is...」に心を打たれ、夢を持って生きるってかっこいいなぁ、なんて思ったりしながら、自分の夢って何だったかなぁ。と、改めて考える事となりました。

 もう一人のトルコ人の方は、英語でやり取りをするのが本当に難しかったのですが、少しだけお話し。
 聞くところによると「実は予定が変わった」らしく、「My wifeが一緒に来るはずだったんだけど、ブラッドをチェンジしなきゃいけなくなって、来れなくなったんだ」とのこと。
一晩だけの家族になったようでした
ブラッドをチェンジってなんや。と思いつつも、なんだか楽しそうに話しているので、よく分からないままで頷いておきました。



↓こちらはAlicanteにあるCastell de la Santa Bàrbara(サンタ・バルバラ城)。
 



 この土色は、まさにスペインの風景そのもので、とっても五感をそそられます。

↓お城からの風景








 さて、スペインから帰ってきた後は真面目に、演奏の録音をしました。(スペインも真面目な用事でいっています)



 8分くらいの、そんなに複雑ではない曲を録音したのですが、なかなかミスのないように弾けない。編集無しの映像が欲しかった事もあり、最終的には、実に2時間も収録に時間を費やす羽目になってしまいました。(最終的には妥協を。。。)
 しかしこの苦い経験は、いろいろな教訓にもなっていて、日々の練習に対する姿勢を見直すいい機会にはなりました。



 と、大まかに大まか大まかに、PCを叩いて叩いて、七月にあった出来事を総ざらいしました。しかし雑になってしまった。。。。
 次回は七月の末から八月の中旬まで行われたピアノの講習会について。
 こちらは大切な思い出なので、丁寧に記そうと思っています。

反省:
きちんと暇を見つけては記しておかないから、文章も荒れるのです。
ものぐさせずにキチンと記すこと。



2016年8月16日火曜日

六月 水無月 みなづき

 更新をさぼってしまいました。水無月。んーーー何があったのか、何もなかったのか。錆び付いた文章力を呼び起こすためにも、少しだけ記してみます。

▼六月は、精神的に結構参っていました。
 自分の中に行き場のない不満と不安が溜まっていき、それを消化出来なずにもがき、しかしながら、もがきながらも淡々と、やるべき事をこなしたと云う日々でした。

 卒がなくPostGraduateの一年目も終え。。。
 あぁそういえば、年度末恒例のBBQパーティに参加したり(学校主催)、EURO2016でベルギーを本気で応援したり、、、行事ごとの多い月でもありました。

 水はなくてもビールならある。それがベルギーです。(なんのこっちゃ)

▽おぉ、そういえば六月はコンクールにかこつけて、南イタリアを周遊してきました!!なんてハッピーーな六月だったんでしょう。
 ピサの斜塔は、やっぱり傾いていました。
 あとはルッカという、これはなかなかいい街で、オペラ「蝶々夫人」で有名なプッチーニの生まれた街らしいです。

▽お皿はフィレンツェで購入。凄く気に入っています。
 しかしフィレンツェを一泊二日では、まったく回り切れませんでした。美術館も沢山で興味深いものばかり。ここはもう一度行きたいなと思っています。

 続けて次回は七月について。。。何を覚えている事やら。。。









2016年6月5日日曜日

古い日記より ~初めてのリサイタルの記憶~ d'apres des vieux cahiers

 大学を卒業してすぐ、留学に向かう前に初リサイタルを行いました。これが2010年でして、6年前のちょうど今頃なんです。それを先程、思うところがありまして、その当時の自らの心境を記したブログを久しぶりに読み返してみました。タイトルは『6月18日の話』。

 ピアニストと呼ぶには程遠かった6年前に、それでも必死になって頑張っていた自分の姿を思い出し、"懐かしさ"と"新鮮さ"を感じると共に、当時の自分に力を分けてもらっています。
 そして当時の自分曰く。未熟と知りながら、何故その時分にリサイタルをしようと思ったのか。それは『「今、しなきゃいけない」と云う気持ちが、とても強かったから』なそうな。。。その判断は断じて正しかったと、今の自分は切に思います。

 今回はそのブログに、改行と句読点に多少の編集を加えつつも、文章・絵文字などには一切の変更をせず、当時のそのままの気持ちと雰囲気を残すべく、掲載します。



▼6月18日の話

前日から、気持ちの高ぶりのせいか、夜は2時間毎に目が覚める。
寝ているような、ずっと起きているような…

10時頃にはお腹が空いたので、予め買っておいた蕨餅を食べ、寝汗が激しかったのでシャワーをゆっくり浴びる。しばらく横になり、13時00分に準備開始。

14時00分くらいに学校に着き、食べたいものを食べる。
(確かカジキの照り焼き)

14時30分頃から、
少しのまやかし練習、

16時00分まで先輩方とだべり…


16時00分からは楽譜を読み始める、

この時、
まだまだ眠たし。

16時45分頃まで楽譜を読んだ後、

小雨の中会場へ…

-------------------------------------------

会場に着くと、ちょうど仲間のKが前に見える。

会場の方に挨拶をした後、少し嫌嫌ながら仕方なく、(アラウの教えによる)
調律師さん立ち会いのもと、 ピアノの試し弾きをする。


なんていい響きなんだ。
想定していたよりもずっと美しい響きが広がる。


楽屋にて、Kと世話話をしていると、親が早めに到着。
17時30分頃。

その後、お手伝いのMichiが到着し、 プログラムを折ってくれる。
17時40分

ダメだなぁと思いながらも、確認の誘惑によりピアノを触る。
(本番前に練習すると、本番のエネルギーを使ってしまう、だからよした方がいい…アラウ)

遅れて、この日の精神的補助、A氏が控室へ。
17時50分。

---------------------------------

17時57分


意外と長い待ち時間。

これから本当に自分が弾くのかと云う不思議な感覚に、
「お前のリサイタルだろがパー」と突っ込みを入れるK氏。


外は雨が強くなって来ている。
しかしそんな事を考えもせず、時計の針は進む。

18時10分。


会場の入りは、まだ8人程だろうか?話し声は聞こえない。
18時20分。

何やらザワザワとして来た、
みんな来てくれたんだ、ありがとう。


18時23分
K氏の「ここまで来たら楽しんでよ」との言葉を遮りトイレへ。


18時28分
そろそろ騒がしい、
これから俺が弾くんだ、
俺の、リサイタルなんだ。


そして、18時30分
当初の開演時間
この日は雨なので、予ベルをこの時鳴らす。


18時31分 控室に来客
(控室は直接外に繋がっているのですが…)


「ピザをお届けに参りました~~ニコニコ!」


……………………


ハッ(´Д`)!?!?!?!?

K氏が間違いだと話を付け、追い返す。
誰かの妨害作戦か(笑)!?



ズッコケのまま、

18時33分

早めのベル、


さぁ、本番だペンギン!!

----------------------------------------

万雷の拍手
(そう聞こえた)

本当に感謝

どれだけ深くお辞儀をしても足りませんでした。
何人かの友達の姿を確認。中央にはAJ氏もきちんと発見。


バッハを弾く

終わり、袖にはける。

Kが控室に来て
「いい感じパー
と励ます。

お茶を一口、
ベートーヴェンに向かう。


ハプニングなんか関係ない。

今を大切に。


弾き終わり、

控室。

19時30分まで休憩と決める。

K氏とA氏と、今の演奏について話しながら、

「マズは次だよ」

と彼らは気持ちの方向を示してくれた。


19時30分
シューマン 謝肉祭


この時会場に入って来てくれた友人もきちんと確認、
中央右手には、河合楽器のF.Y.氏も見える。


感謝



シューマン 演奏


自由になる


終わり、袖にハケ、


お辞儀、


口上、


泣く。



皆に感謝。


全てに感謝。


そして今、遠い過去を思う、


「音を出した瞬間から、それはもう過去なのです」

AJ氏の言葉


そう、だから今、


私は生きなくてはいけない。


自分の出来る限り、


一生懸命に。

2016年5月26日木曜日

La porte ouverte;l'âme fermé 皐月

 自分には先見の明があったのかしら。それとも、、、

▼La porte ouverte;l'âme fermé(開かれた扉;閉じられた心)
 このブログを始める際に何気なく付けた題名ですが、今まさに自分は、この言葉に当てはまる状況にあるようです。

 Piet=Kuijiken先生の下で勉強を始めて、僕の音楽に対する見方は大きく変わりました。それに加えて今期は、多くの同世代のピアニストとの交流もあり、沢山の成長があったと思います。僕の視界は大きく開かれました。まさに"扉が開かれている状態"だと思います。

 さて問題は、この開かれた世界の中へどうやって踏み出すのか。。
 "L'âme fermé"
 まだまだ僕の才能は開いていない。まだまだ可能性はあると思う。この未知の部分を開花させる何かが欲しい。
 或いは考え過ぎて、僕は臆病になっているのかもしれません。悪い癖??

 その悩みの中でも、凄く影響を受ける演奏に出会ったり、先生の助言であったり、また、友達との会話であったり、、、少しずつ踏み出そうとしている感はありますが、まだまだ。もっとたくさんの経験と体験が必要なのかもしれません。

 そうだ。そろそろ新しく録音をして、interpretationsの更新も行わなきゃな。。。
 むむむうむ。。。むむ。。。。。

 あぁ、このブログのタイトルをl'âme ferméからl'esprit épanoui(花開いた心)に変更したい。
 そんな苦しみの中にある皐月。
 ブリュッセルは気候の変動が激しく、寒暖の周期が目まぐるしく変わっていくのですが、最近はやっとで落ち着いた空気になってきました。
 皆様は健やかにお過ごしくださいね。



反省::
 前回四月のまとめブログを記す際の題名を、"皐月"と誤って記してしまいました。正しくは、四月は卯月です。。。四月には競馬の"皐月賞"があって、どうしても"四月は皐月"と思ってしましますが、卯月です。。。失礼しました。

2016年4月27日水曜日

Elisabeth・Leonskaja 協奏曲&リサイタル 4月22・24・26日 

 ブリュッセルにあるコンサートホールPalais des Bozart(パレ・デ・ボザール)で行われたElisabeth・Leonskaja氏のコンサートに赴いてきました。今回はその思い出を記します。

▼このElisabeth・Leonskaja氏は、僕が最も憧れているピアニストなんです。
 彼女の身体から放たれる音楽は、深く静かに聴衆の中に入ってきて、心の泉を潤すように染み入ってきます。そして彼女の立ち姿と振る舞いの優雅さを目にすると、それが尊敬せずにはいられない音楽家であり芸術家であり、人物なのだと思わずにはいられません。

 さて、僕のElisabeth・Leonskaja賛はこれくらいにして、こちらが今回のプログラムです。↓

 2016年4月22・24日
 Concerto pour piano et orchestre, op. 54 Robert Schumann

 2016年4月26日
 Sonate pour piano, op. posth. 122, D 568 Franz Schubert
 Fantasien, op. 116 Johannes Brahms
 Sonate n° 2, op. 37 Pyotr Tchaïkovsky

▽まずはシューマンの協奏曲の感想、、、というか、ちゃんと感想になるのかな。。。

 もう、凄すぎでした。演奏中に「すごい・・・」って何度つぶやいたか。
 とても譜面に忠実なスタイルで、細部のアーティキュレーションや和声進行が目に見える演奏。そしてその上で、彼女の持つ音質、羽の生えたような音と、音楽的で目の覚めるようなフォルテを以って、シューマンの性格的な表情を見事に表現していました。

 僕なんかはもう、彼女が出てきただけで感動。
 優雅に表れたLeonskaja氏は静かに椅子に座り、かと思えばシューマンの協奏曲の出だしを、音楽的な強烈でFで開始。それでもう、痺れました。第一主題に入る際に配置されている前打音の後に、第一音をホールに放つまでに使われた時間は、アクセントの指示がされている第一音の印象を奥深く、聴衆に印象付けるものになりました。(この部分の指示は"P espress.")

 本番後は勇気を出して楽屋へ。少しだけお話をすることが出来ました。
 僕が"次にこの曲をやろうと思っているんです"と言うと、「じゃあ三楽章に気をつけてね。決して速く弾きすぎないように、これはワルツなのよ」とのお言葉。彼女のように生き生きとした表現をするためにも、しかと胸に刻んで、楽譜を読み進めていこうと思います。

▽そしてソロリサイタル

 まずはシューベルト。めちゃ凄かった。
 とても上手に弾いたとしても、途中で飽きてしまいがちなF.Schubertさん。しかし彼女の手に掛かれば、それは深い森の散歩道を歩き進むような、とても瑞々しい時間に変わってしまいました。
 僕には、その中でも特に強く印象に残っている瞬間があって、それは彼女の音楽の中で静寂が、コンサートホールを支配した瞬間が訪れた時です。この静寂が何度も訪れる。ぼく自身、静寂が聞こえて来る演奏に出会うのは初めての経験であり、その瞬間の尊さに、感動を覚えずにはいられませんでした。演奏を聴いていて涙が浮かんだという経験も初めてかも。

 そしてブラームス。本当に素晴らしかった。
 聴衆に対しても集中力を求めるプログラムではありますが、その集中力を切らさせないのはピアニストの凄さですね。彼女のop.116には圧倒されました。
 ただ上手に弾くだけでは、途中で時計を確認しいてしまいがちなこの曲。しかし彼女の手にかかれば、これも怪しい夢の中を探るような、ブラームスが彼の心の内を吐露するような、味わい深い音楽へと生まれ変わり、その演奏に只々集中して聴き入っている自分がいました。
 うーーん、この曲。まだまだ自分には弾けないなぁ。すべてを理解するには若すぎる。
 それほどに複雑なものを感じさせる演奏でした。

 休憩の後にチャイコフスキーのソナタへ。心が躍った。
 シューベルトとブラームスとチャイコフスキー。このキャラクターの全く違うはずの作曲家たちを、一つのプログラムにまとめ上げ、一つのコンサートとして彼女は育て上げた。そして特筆すべきは、この3人のどの作曲家を聴いている時も、いつも作曲家の意図した、その曲のあるべき姿を感じながらにして、いつもpaforming by Elisabeth・Leonskajaな所だと思います。
 その最後を飾ったチャイコフスキーのソナタからは、ロシアの民族的な、暖かい土地に憧れ続ける、そしてどこかちょっと間の抜けているような、親しみの持てる人間性。そんな匂いが立ち込めて来ました。
  
 アンコール 
 F.Liszt"ペトラルカのソネット104番"
 L.v.Beethoven "テンペスト 3楽章"
 F.Chopin"Nocturne op27-2"

 このアンコールが、とてつもなく素晴らしかった。

 ペトラルカでは、主題に入ってから現れるアルペッジョが極めて濃縮された状態で行われ、その表現の仕方に度肝を抜かれました。たまに優しく行われるアルペッジョがまた良い。 

 ベートーヴェンでは、古典の奏法に則った弾き方に加え、素晴らしいアーティキュレーションの表現。そして作曲者が与えたアクセントを的確に表現し、立ち上がる演奏は芸術そのもの。pで迎える最後の終わり方には、胸がグッとなりました。

 最後の曲となったショパンのノクターン。これは至高。遠い無意識、夢、静寂の中に連れ去られる思いで、これもまた、やられました。

▽やられたままの状態で、ボーっとして終演後の舞台裏に赴くと、彼女にグッと姿勢を正されてしまいました。苦笑です。そして僕は、もじもじ。もじもじ。もじもじ。まじ、おれ、しっかりして欲しかったです。
 しかしながら、又ちゃっかりとサインをしてもらい、完全にミーハーと化してしまいました。あぁ、もっとちゃんとお話をしたかった。

▽なんだか、ずっと凄い!!凄い!!と書いてきましたが、僕たちが一番に驚くべきことは、彼女の体の動きと音楽が、常に一体化している事だと思います。

 彼女の腕の動きは常にフレーズを創っており、また、音の長さを形作っています。音が空中を漂っている時には、彼女の腕もまた、鍵盤の上の方で漂っています。また大きな音価のみならず、細かいアーティキュレーションの際にも、音の緊張と緩和に即して、体の動きが緊密に連携しているのが見て取れます。
 他にも鍵盤の底に手を放り投げたり、時には跳ねるようにして長い音を立ち上げたり。これらの動きは音楽に直結していて、特にポルタメントを弾く際に行われる腕の動きは、僕のお気に入りです。

∴熱に浮かされてDVDも買ってしまったので、いろいろと研究して取り入れていこうと思います。


2016年4月23日土曜日

卯月 コンクールから大風邪をひき、そしてブリュッセルでの講習会からコンクールへ

 タイトルを見るだけで、なんとも忙しい。そんな四月の出来事をサラサラっと記しておきます。

▼最初のコンクールは、これはもう三月の末だったような。
 久しぶりに会心の演奏をしたと思ったのですが結果は振るわず、非常に残念でした。しかし、ファイナルに残られた方々の演奏をすべて聞きましたが・・・・・な印象。コンクールって色々あるのね、と言う感じ。。。。個人的には、集中して弾けたし、舞台上で為すべきことを会得したような気がしたので、それはそれで良しとしておきます。

 その後にブリュッセルでテロが起きましたが、僕はと言うとその翌日から高熱を出し、5日間ほど床に臥せておりました。一時は39℃を記録して非常に心細い思いをしましたが、なんとか回復に至りました。
 そんな風邪の最中に、その翌週にあるブリュッセルでの講習会から連絡があり、ブラームスのop.120を一楽章だけですが、ヴィオラと演奏する事に。。。初合せまであと3日。その当時はまだ38度あったのですが、もうそこは根性を出してね、譜読みをしました。

 講習会が始まる日になると、なんとか発熱は収まっていたのですが、いかんせん満足に物も食べずに過ごしていたので、体力・気力・筋力共にコンディションが戻って来なくて苦労しました。そこは根性を出して(2回目)なんとかこの講習会を乗り切ったのでありました。

 この講習会が始まるまでに本当は、色々と仕上げる予定だったのですが、上記のとおり風邪で一週間のロス。このロスはとてつもなく痛手で、なぜかと言えば次のコンクールをタイトな日程で組んでいたためです。講習会が終わった1週間後にはもう出発!!もうここは根性を出して(3回目)曲のコンディションや体調を整えました。
 体調管理って、本当に大事ですね。
 まぁしかし案山子、もとはと言え、奴がインフルエンザなのに外出して・・・、なんて恨み言はなしです!!すべては自分の責任ですね。


▼さて、次に迎えたコンクールでもいろいろな収穫がありました。(←賞は収獲していないと)

 僕は音楽家でありたい。だから意思を持って、意思のある音で、常に音楽と接していたい。それを強く感じだ本番であり、また、それを強く意識して臨んだ本番でした。

 それは同時に、リスクを取ると言うことでもあるんですね。
 意思を持てば、その人のキャラクターが入ってくる。そこにリスクは生まれるんです。だけれど僕は、そこを避けて演奏をしたくはない。それは退屈で無意味な音楽になってしまうから。だからいつでも、意思を持って、リスクを甘んじて受け入れる覚悟で本番に望んでいます。

▽でも同時に、実は、意思を強く持った音の音楽の一方で、音楽を俯瞰で見て自然と、音を体に受け入れるような演奏の仕方もあるのではと思い至ってきました。きっとこの両方のバランスが大切なんだろうなぁ、と今は考えている最中であります。

 でも、あまり重たく考えてはいけない。すべては音楽を楽しく演奏するために為されることなのですよね。

▽そんな事を考えながら、今週は僕の憧れのピアニストであるElisabeth・Leonskaja氏のコンサートに行っています。今回は連続コンサートで3回のコンサートがブリュッセルであります。昨日はこの演奏会の初日で、シューマンの協奏曲を聴いてきました。。。とても素晴らしかった。
 彼女のような音楽家、人間になりたいと心から思っています。
 詳しい感想は、すべてのコンサートを聴いたのちに記してみようと思います。

 では、今回はこの辺で。。。






反省; 文章が荒れてるんでないか?もっとスッキリと書きましょう。


2016年3月30日水曜日

能動的演奏考 下 ~普段の練習ですること~ 

 前回までは、本番やその当日の事についてを主に記してきました。
 今回は、毎日の練習でするべき事について記します。

 【音楽を奏でるために】

 最初にやはり強調しなくてはいけない事は、練習のどの段階にあっても、その音やフレーズの持つ意味・前後関係を考え、音楽を考えながら練習をしなくてはいけないと云う事です。当たり前の事ですが、しかし当たり前の事は常に大切です。それを踏まえたうえで、普段の練習で何をすべきかを記していこうと思います。

 【楽譜から情報を適切に読み取る】

▼楽曲に取り掛かる最初の作業は譜読みですね。しかしこの譜読みの段階が、音楽を創るために最も大切な段階です。それは、楽譜の中にはすべての事が書かれてあり、また"隠れている"ためです。その一つも見落とさないように、自分の気持ちとは距離を置いて分析をすることも、時には必要です。

 例えば、楽曲には"楽節"という大きな塊があり、前楽節と後楽節によって一つの楽節が成り立っています。その楽節の中にはいくつもの"ニュアンス"があり、それは作曲者によってスタカート、或いはレガートやアクセントといった形で指示が為されています。それらを支えているのは"和声"であり、和声には緊張と緩和があります。また拍子にも強弱があり、これは例外なく、その楽曲の曲想に大きな影響を与えています。和声感や立体感を出すにはアーティキュレーションを…等々。これらのすべてを楽譜から抽出し、そして最適化させる作業が譜読みです。

 譜読みと同時に、その曲のキャラクターも捉えていく必要があります。
 キャラクターは、テンポ表示(Allegro...Alegretto...Adagio...)や調性に関係しており、またリズム感ともよく密接に関係しています。分析を行い、読み取った情報にキャラクターを持たせていけば、その曲の持つ個性や意味が音楽となって現れてくることでしょう。それだけ、楽曲の分析は大切な段階であり、必要不可欠な作業です。

 実は、多くの技術的な問題は、音楽的な問題の中に集約されています。
 なぜなら音楽は緊張と緩和の連続であり、小さなフレーズの中にさえこの緊張と緩和は隠れています。これを読み違えてしまうと、楽譜と演奏に矛盾が生じて、意味の通じない演奏になってしまいます。しかし、楽譜を適切に読み取れば、多くの技術的な問題は解決されます。
 
 上記のような分析を行い、そしてそれに基づいて自分の音楽を確立していく練習が、普段の大半の練習です。このような練習を続ければ、"意味"と"確信"をもって演奏することが出来ます。そして遂にはには自己と音楽とが一体になることが出来ます。

 本番が近づくにつれ、舞台上で音楽を奏でることを想定した練習が必要です。これは、舞台上で音楽を奏でるための精神的な準備です。舞台に上がった自らを想定して、やりたい音楽に執心する。僕が思うに、練習からいきなり舞台に上がって音楽を奏でる事だけに集中できるほど、人間は割り切れるものではないと思います。
 

(※22/5/2016に追記)
▽緊張は、心と体の準備のようなものです。なんのための準備か、それは勿論、音楽を奏でるためですね。
 加えて最近僕が思うのは、舞台上での自分自身の演奏に感動するという事です。
 自分が感動していないもので、一体聴衆が感動してくれるでしょうか。また例え聴衆が感動されたとしても、自分が納得していなければ不満ではないでしょうか。
 舞台上で自分の演奏に感動する。そのための準備の一つが緊張なのだと思います。


 この段階を経て本番を迎えれば、舞台上で自己と音楽が一体になる演奏が実現し、音楽を奏でる事に集中できると確信しています。


 これまで上・中・下と、舞台で音楽を奏で るために必要な準備について記してきました。しかしここに記したことは、あくまで音楽を、最も抽象化した捉え方にすぎません。
 譜読みの仕方や体の使い方等については、別の記事でもっと踏み込んで記したいと思います。 


2016年3月26日土曜日

能動的演奏考 中 ~本番直前にすること~ 

 前回は、普段の練習におけるイメージと、舞台上での心構えについてを記しました。
 舞台上では【やりたい音楽を自由にやる】として、それによって本番での不安は解消されるとしました。
 今回は、本番に入る為のルーティーンについてを記します。

 【本番前の準備】

 本番直前に舞台上のピアノを触れる場合は、まず鍵盤の感触や跳ね返りを確かめ、ハンマーの挙動を確認し、そしてホールの一番後ろの席を意識した響きをなんとなく感じます。ここで、その日弾く曲の響きのイメージを作ります。

 別室で練習できる場合も多々ありますが、この時には譜面を置いて、やりたい音楽の確認をするのがよいでしょう。
 僕は、本番まで一時間前を切れば、ピアノに触れないようにしています。ピアノに触っていると、その日の本番に対するパワーが抜け出て行ってしまうと感じるためです。

 本番前は緊張します。沢山の演奏者を見てきましたが、ほぼ例外なく、すべての人が特別な状態にあります。そして例えば、その緊張によって体が強張ってしまうと、湧き出てくる音楽を筋肉がブロックしてしまう場合があります。

 したがって本番前は"軽いストレッチ"で体の強張りをほぐしましょう。
 僕が行うようにしているのは、腕を前へグゥッと数秒伸ばし、そして筋肉が緩んでいくのを感じるストレッチと、脇の下の強張りをほぐす軽いマッサージです。そして、鎖骨の間にある頚窩(ケイカ)という部分を開くイメージを持ちます。こうすると呼吸が少し楽になって前向きな気持ちになるんです。

 もう一つは、椅子の上に正しく座って、脚を地面から離し、お腹に力を入れて支える、体幹トレーニングを行います。お腹に力を入れることによって、呼吸を楽にする事もできますし、それに伴って上体の緊張が解けるのを感じる事ができます。

 そして譜面を読み直しながら、自分の頭の中で理想の音楽をイメージします。
 本番は、本番の瞬間のみに非ずして、舞台に上がる前から既に本番であると思いましょう。譜面を読みながら理想の音楽をイメージすることも、本番の一部なのです。

 舞台に上がった時のお辞儀の仕方も考えておきましょう。いつものやり方があれば、それが本番に入る一つの良いルーティーンとなります。
 椅子の高さは非常に大切なので、一切の妥協なく設定するべきです。

 さて、演奏にとりかかるまでは一応これで完了です。湧き出る力を感じながら演奏に入りましょう。

 演奏の始まり・始めは、鍵盤を押し下げる感触をよく感じ、また、ハンマーと弦との関係を感じるのがよいと思います。指先の感触は心に安心感を与えてくれ、勇気を与えてくれます。普段から出したい音を明確にイメージしたうえで練習をしていれば、演奏開始後、それとほぼ同時に、もしくは少しずつでも、演奏に自然と溶け込み音楽を奏でる状態に入っています。

 それでは具体的に、普段の練習では何をするべきなのか。
 もう何度も記しましたが「やりたい音楽」を引き出す事が、普段の練習ですべき一番重要な事柄です。
 次回は、練習の段階で為すべきことについて記します。

2016年3月24日木曜日

能動的演奏考 上 ~本番に舞台上ですること~ 

 『いったいみんなは、どんなことを考えながら練習をしているんだろう』

 これって大学生時代に、何も分からなかった僕が一番知りたかった事なんです。だけれど残念ながら、長らく、自分の納得のいく答えは見付けられなかった。そして実は、そんな事を疑問に思っている人って結構いるのではないでしょうか。
 したがって今回からは数回にわたって、僕が音楽を創っていくにあたって何に留意しているか。そんな事を記していこうと思います。


 【本番のはなし・舞台上でする事】

 それでいて「なぜいきなり本番の話になるんだろう」と思われるかもしれません。まずは、どういう練習をしているのか。それを記すのではないのかと。

 しかし実は、そこが一番の盲点なのだと考えています。なぜかと言えば、本番で演奏するために奏者は練習するからです。当たり前の事だと思えるかもしれませんが、これが一番重要な事だと僕は考えています。
 つまりは、本番にどのような音楽をするのかを常に想像して練習しなくてはいけない。その理想に向けて練習しなければ、いつまで経っても"練習の段階"を抜け出せない。はじめにやりたい音楽があって、それを実現するために普段の練習をするべきなんですよね。

 一つのイメージとして、積み木のように練習を重ねたうえに音楽があると言うよりも、やりたい音楽のイメージに吸い上げられるように練習する方が良いのだと思います。そうしないと、出来ないことを繰り返すだけの練習になってしまいがちではないでしょうか。
  

▼さて、僕も昔は、本番前にどうしていいか分からずに、本当に子猫のように怯えていた時期がありました。いろいろな心配、特に暗譜についての心配が襲ってきて、本番前夜などは、頭の中で曲を繰り返しては暗譜が分からなくなったり、楽譜を何回も見直しちゃったり。本番直前も目の前が真っ暗になるような経験を、何度もしました。
 でもじゃあ、なんでそんなに怖いのかが長年分からなかった。失敗が怖い、暗譜が飛ぶのが怖い、暴走が怖い、滅茶苦茶になるのが怖い。色々と怖いことは分かっているけれど、では何故?と言えば、これが分からなかった。
  『分からない』という事は、不安の要素の一つです。逆に、ではどうするかが分かれば怖さも軽減されます。

 この疑問に対する一つの答えとして、ある時に『自分は舞台上で何をするべきかが分かっていないんだ』と言う結論へ至りました。僕にはこれこそが、日々の生活から練習に至るまでに、演奏者が理解すべき最大の事柄のように思えます。

 では舞台上ですべきことは何か。
 それは【やりたい音楽を自由に奏でること】です。
 当たり前の話のようです。しかし、当たり前のことが常に最も大切なのです。

 舞台の上で僕たちは"なにがしたい"のか。やはり一番は"自分の最高の演奏をしたい"に違いありません。


 自分の記憶力を披露する場所や、勝利を勝ち取る場所では決してありません。失敗を恐れたり、気負って興奮してしまったり。これらはすべて自分の奏でたい最高の音楽を忘れてしまった結果ではないでしょうか。

 したがって、舞台では誠心誠意を尽くして良い音楽を奏でる場所だという事を、演奏者は、血肉になるように意識する必要があります。

 でも、それがしたくても出来なく困ってるんじゃん!!じゃあどうする!?
 次回は本番のルーティーンについて。

2016年3月22日火曜日

ピエール・アンタイ チェンバロリサイタル clavecin 

 今日はチェンバロ奏者のPierre Hantaïのリサイタルを聴いてきました。ので、ちょっとだけ感想を。

 プログラムはこちら↓

 Prélude, fugue et allegro, BWV 998
Johann Sebastian Bach
 Choral "Jesus, meine Zuversicht", BWV 728 Johann Sebastian Bach
 Suite anglaise n° 4, BWV 809 Johann Sebastian Bach
 Sonata, BWV 964 Johann Sebastian Bach

▼3月21日はJ.S.Bachの誕生日だったんですね。(ユリウス暦による。1685-1750)
 それもあり今回のプログラムでは、そのすべてをバッハに割かれました。
 実は、本格的なチェンバロのリサイタルを聴くのは初めてだったのですが、本当に行ってきてよかった。ごめんなさい。感想を書くと言っておいて、ちょっと言葉には出来ない興奮を覚えるリサイタルでした。
 弦を引っ掻いて出すチェンバロの心を突き刺すような音と、石造りの教会にちょうどよく響く残響。そして、彼の音楽に対する熱がダイレクトに耳に伝わってきて、心を揺さぶられました。

 楽器としてのチェンバロの素晴らしさも再認識しました。
 現代のピアノと比べると鍵盤の数が少ないはずなのに、現代のそれを凌駕する音域の深さと奥行き。音の減衰から生まれる浮遊感。楽器の構造的に音の強弱は付けられないはずなのに、これを音符の数で音色に厚みを持たせる作曲技法。音の長短で強弱を表現したり、レガートでペダルのような効果を生み出す演奏技法。本当に奥が深い楽器です。

 アンコールではスカルラッティのK.175を弾いてくれました。ギターをかき鳴らすような弾き方と不協和音の組み合わせが最高。バロックの時代って整っているだけでなく、実は不協和音を効果的に用いて、心へ訴え掛けるように作曲された曲が多いんですね。だから、思っている何倍も演奏効果は自由で、躍動的なんです。それが今の時代にあっても斬新な印象を与えてくれます。

▽そういえば演奏会の最中不意に、本当に突如として、なんで勉強ってしなきゃいけないのか?と云う事を悟りました。
 算数にしても国語にしても何にしても、あれは自分の中の"感覚の幅"を広げる為に絶対に必要なんです。よく言う"感性"ってやつですね。その感性を形作るための基礎が勉強なんです。例えば2倍ってなんなのか。2×2=4って何なのかを知らなければ、他の物事を感覚的に捉える土台の一つが失われているって事だと思うんです。
 だから、生きていく為の実用に適うから勉強するんじゃなくて、そういう小さいものを積み重ねて感性を育むために勉強って必要なんだなと。本当に突如として悟りました。なんのこっちゃ。

 さて、話によると日本で行われるラ・フォル・ジュルネでも彼は演奏するのだとか。チケットはまだあるのかな??機会があれば、是非とも足を運んでみてくださいね。

 
 

2016年3月11日金曜日

パリの現場を歩く

 パリへ行ったもう一つの目的。それは昨年の11月13日に起きたテロの現場を廻る事です。
 今回は少しだけ廻れた現場について記します。


パリ北駅にて。金属探知機での検査

▼パリ北駅に着いて最初に目に入ってきたのは、ヨーロッパの高速鉄道であるThalys(タリス)乗り場に設置された検問でした。テロが起きて以降、乗客は出発20分前にホームへ着いて、荷物のチェックを受けています。乗客には多少の不便となりますが、やはり安全には代えられません。みなさん普通の事として検査を受けていました。

 ちなみに下の写真は、ブリュッセルのThalys乗り場へ向かう道なのですが.....





 見ての通りスカスカ。なんの検査もありませんでした。これはあべこべで、パリにテロリストが入って来ないようにするための検査じゃないの?と思ってしまいました。一応パリに着いたホームでは警官が4人立って目を光らせてましたが、それだけでいいのかなぁ。
(アラブ系の方を捉まえては、チェックしているらしいです)

 テロリストは目立ってなんぼなので、やはりブリュッセルでテロを実行するよりも、パリで実行すると思うのですが、ここらへんのアベコベ感は、ヨーロッパ特有の緩みなのかなぁと感じました。


現場であるBichat通りの最寄り駅

▼パリに着いたその足で向かったのは、先日起きたテロの現場です。

 "テロが起きた場所"ということで少し緊張して赴いたのですが、実際に現地へと着くと拍子抜けするほどの普通の場所でありました。現場は、有名なシャンゼリゼ通りなどの華やかな場所ではありませんが、私の知っているパリ。パリっ子が生活する"普通のパリ市"でした。

現場のcafe CaRillon. このカリオンとは鐘の事
目線。向こうから車でテロリストがやってきて銃を乱射
お店の隣には鎮魂のメッセージが

お花も捧げてありました


 僕がそこを訪れたのは早朝であったので、お店はまだ閉まっていました。

 しかし夜には絵にもあるように、のんびりとお酒を楽しんでいたんだろうなぁ。
 まさかここがテロの標的になるのか??というような場所で、本来ならテロのターゲットになる場所ではないのです。それだけに、これからのテロをいかにして防止するかの難しさを、改めて考えてしまいます。

 壁に貼られたメッセージには、犠牲となった友人たちへ思いを寄せる言葉が綴られており、ここがみんなの憩いの場であったことを思わせます。なんとも、胸が締め付けられる思いです。

 
バタクラン劇場

 次に僕はバタクラン劇場へと赴き、そこでは白バラとベルギービールと祈りを捧げてきました。


画面右手にはフランス国旗が掲げてある
銃弾によってエグれる壁。この破壊力が人に当たる場面は想像を絶する。

泥棒防止の柵が、皮肉にも避難の妨げになりました。

あなたはもうここにはいない、じゃああなたはどこへ。あなたはいつも私達の傍にいる。





 現場から戻った今、私が改めて思うことは、僕が訪れたテロの現場は"テロの起こった場所"ではありますが、実は、"普通の生活の中で不意にテロが起きた"のだ」と言う事です。
 つまり、パリを見る視点が"テロの現場"から"日常の現場"へと移り変わりました。だからこそ、今回の市民を狙う卑怯なやり方や、犠牲になった方々とその家族・友人の悲しみが身近に感じられました。こういう"本当に当たり前のこと"を感じることが、現場を見る意義なのかもしれません。
 現場を回ったその後は、一日パリの街を歩きましたが、そこには普通のパリの日常がすでに戻っていました。


▼さて、今回のようなテロを防ぐにはどうしたらいいのでしょうか。日本も他人事ではありません。
 日本では銃器によるテロは起きにくいと考えられますが、しかし、オウム真理教による地下鉄サリン事件や、日本赤軍による航空機のハイジャック事件などをはじめ、実は沢山のテロが起きています。特にサリンのような目に見えない物のテロは防ぐことが難しく、また、実行に移すのが容易いテロでもあります。
 だからこそ、このようなテロは未然に防ぐための備えが必要なのではないでしょうか。
 国家権力が情報を収集し、事が起きる前に防ぐような法整備が必要と思います。しかしそこには、個人情報などを国家に探られるという問題もあります。この問題を僕たちはどう考えるべきなのでしょうか?

 そこで僕が思い出すのがパリThalysでの検査です。
 乗客は不便を強いられますが、その代償として安全を手にします。
 リスクとメリットを如何に両立させるか。これは表裏一体なのではないでしょうか。

 もちろん国家による行き過ぎた情報収集は糾弾されるべきですが、いまの日本では個人の自由や権利ばかりが過剰に重んじられ、国家の大前提である"命を守るための役割"が疎かになっている気がします。
 テロの時代に入った現代にあって、日本人も本気になって、自分の愛する人を守るためには何が必要なのか、自分たちは国に何を求めるべきなのかを真剣に考える時が、既に訪れているのではないしょうか。


▽今回パリを歩いていて気になったのは、日本人の姿を"一人も"見掛けなかったことです。きっと先日のテロ事件以降、警戒をされて皆さんパリへいらしていないのかな。人づてに耳にしていましたが、これほどまでとは思いませんでした。
 僕が歩いたところ、パリは既にいつものパリです。むしろアジアの観光客が減っていて過ごしやすい。ルーブル美術館も通常なら最低1時間は並ぶのですが、今回は待ち時間なしに入ることが出来ました。これは、パリを満喫するには今がチャンス!!だと思います。

 テロに遭う危険がゼロとは言えません。しかしそれは日本にいてもどこにいても、生きている限り、何かに巻き込まれるリスクというものは常に付きまとうものです。そしてその確率は、日本でもパリでもさほど変わらないのではないでしょうか。せっかく人が少なくなっているパリなので、旅行をお考えの方は検討してみてくださいね。

2016年3月10日木曜日

"パリ"という名の美術館

 本番一週間前という時期ではありますが、友達との弾きあい等も含めて、花の都のパリへと赴いて来ました。今回はその思い出のまとめを記します。


St-Lazare駅


▼ブリュッセルから高速鉄道で約1時間30分。早朝の電車に乗ってパリへと行って来ました。ベルギーにお引越しをしてから既に2年になるのですが、その間に一度もパリへとは戻らなかったので、本当にひさしぶりの訪仏でした。

 パリ北駅につくと、国鉄であるSNCFのあのテーマを耳にして、なんとも感慨深い気持ちになり、パリの空気にも新鮮なものを感じました。
 そんな新鮮な気持ちも少し駅を歩き出すと、むしろ今もここに住んでいるような錯覚を覚え始め、そして駅の看板を見れば、昔住んでいた町へと続く電車の案内が。今夜はその家に帰らないという現実は、なんだか不思議な心持ちであります。

 パリには大きな才能を持つ人々が集まります。そういう人達に会うことが今回の目的の一つでした。
 情熱を燃やし続ける友人や良い音楽のセンスを持つ後輩、天賦の才能を持つ後輩。そんな人たちに会うと、自分が井の中の蛙になることを戒めてくれ、次へ向かうために僕のお尻を叩いてくれます。
 また、そんな友人たちとの会話は非常に張り合いのあるもので気持ちがいい。人生の悩み・音楽の悩みや、人間関係の悩みなどの日常会話も、真剣な人たちとの話は面白いものですね。


Jardin des Tuileries

 そして何と言っても、パリの魅力の一つは芸術です。パリには沢山の美術館があり、その内容も多種多様であります。美術館だけではなく、パリの街並みや公園は本当に美しく、パリは街が丸ごと美術館のようです。街の中をお散歩するだけでも、素敵な経験となります。

▼さて、今回の訪巴ではロダン美術館とルーブル美術館へ行って来ました。

 ロダン美術館へは友人の勧めもあり赴いてみました。あまり彫刻の見方は分からない僕なのですが、中庭にいる彫刻達の横を通り過ぎるのは、なんだかその時代の人々と時を同じくしているような感じがして面白いものです。そう思えるほど、彫刻の質感などがリアルなのかもしれません。


彫刻達


 この美術館の展示の中には何故かゴッホとムンクの絵があり、きっと何かしらの繋がりがあるのだろうなぁと思いながら......(案内をきちんと見ればきっと何かしらが書いてあるのでしょうが)


 ロダンと言えば有名なのは"考える人"ですが、あれは"地獄の門"の作品の中にある彫刻の一つなんですね。(単体の"考える人"もあります)
 この"地獄の門"が大変に面白かった。実物は自分が思っているよりも小さい作品で、遠目に見ると平面的に見える作品なのですが、これが門に近づけば近付くほどに立体感を増して行き、さぁその門が開かれようかと云う程の近さまで行くと、あちら側へと吸い込まれそうな感覚に襲われました。機会があれば、皆さんにも体験して頂きたいです。


地獄の門

▽ルーブル美術館では日程の関係で一時間弱しか滞在できませんでした。
 ロダン美術館へ行ったこともあり、今回は彫刻のコーナーへ。石とは思えない彫刻達の、筋肉の隆起や柔らかい肌を感じたのちに、17世紀のフラマン芸術の区画へと僕は足を運びます。(やっぱりブリュッセル・ラヴです)

 それにしてもルーブルの展示物の質と量は凄い!!

 このフラマン区画には、壁一面にタピスリーが"ずぅらーーーーーっ"と掲げてあり、この区画だけでも一つの美術館になりうる展示物に圧倒されました。そしてルーブルにこんな展示があるなんて知らなかった。もう一度パリに住むことがあれば、次はルーブルの全てを知り尽くしたい思いです。



ズラじゃない、カツ.....

 パリの文化力はやっぱり凄い。パリの街全体が一つの美術館のようで圧倒されます。住んでいた当時はそのように思わなかったのを悔しく思いつつ、成長して戻って来れた証かなとも思いつつ、またパリを訪問してみたいなと思いました。

 さて、大まかですが今回のパリ訪問の芸術編を記してみました。もう少しだけ写真も撮ったのでphotoの方で掲載しようと思います。

 次回は、もう一つの目的であった"パリの現場"を巡った感想を少しだけ記すつもりです。
 

2016年3月7日月曜日

三月二日 グレゴリー・ソコロフ ピアノリサイタル

 ブリュッセルでは毎年の恒例となっているソコロフのピアノリサイタル。
 今年も喜び勇んで行ってまいりました。
 と、せっかくなので感想やらを忘れないように、また一端の音楽家らしく、記してみます。

 プログラムはこちら↓

 Arabeske, op. 18 Robert Schumann
 Fantaisie, op. 17 Robert Schumann
 pause
 2 Nocturnes, op. 37
Frédéric Chopin
 Sonate pour piano n° 2, op. 35 Frédéric Chopin

 これまでの彼の演奏で、特に印象に残っているのは、ベートーヴェン7番ソナタとショパンの3番ソナタの演奏です。
 ベートーヴェンでは、作曲者の意図したすべての表現を、余すことなく完全に再現し、そして彼自身の解釈と一体化させた見事な演奏でした。またショパンも同様に、一つの音も疎かにしない、恐ろしく洗練された音楽表現であって、聴き手にも相当の集中力を求めてくる演奏でありました。

 さて、そんな彼の演奏を聴いてきたので、否が応にも期待は高まります。

▼シューマンのArabeskeから始まった演奏会は、始まった途端からソコロフの世界で「お、来たな」と心の中で嬉しさを噛み締めました。しかし一旦Fantaisieが始まると、いつものソコロフの音ではない音で始まり、終始その粗暴な音で曲は進んでいきました。
 疑問が一気に膨れ上がる一方で、曲のキャラクターを"故意に"際立たせているのかとも思い、なんだかcarnaval 謝肉祭の様相もあって(季節的にも)楽しく賑やかな演奏であるとも思いました。粗暴なFFは残念でしたが、ペダルの使い方や旋律の歌い方の部分で、なるほどと思える部分も沢山あり、とても勉強になりました。
 
 僕にとっては、以前のショパン3番ソナタの強烈な記憶もあるからか、今回のショパン2番ソナタは更に納得の出来ない演奏でありました。各々のアーティキュレーションを尊重していると言えばそうなのかもしれないのですが、許容範囲を大幅に超えてはいないか?との疑問が残ってしまう演奏。そしてやはりシューマンと同様に粗暴な音が目立ってしまい、洗練されたショパンとは程遠いものだったと思います。
 しかし、3楽章の途中までと4楽章だけは、素晴らしい彼の『正解』の演奏を示してくれました。特に4楽章は『こうあるべき』という演奏を示してくれて「これぞソコロフ」という解釈を、最後の最後で示してくれました。

 プログラムとは対照的に、(いつものように)30分にも及んだアンコールの小品群は、恐ろしく洗練された作品ばかりで、全てが印象深く、そして興味深い演奏でした。これを聴くだけでも価値のある演奏会だったと思います。
 
 全体として、ソコロフはいつも僕に『正解』の一つを示してくれるピアニストなので、その分の消化不良を今回は大いに感じたんだと思います。しかし、いつでも『正解』を出せる訳ではないという意味では、とても思い出深い演奏会の一つとなりました。

2016年2月27日土曜日

如月・書くことがない

 なんて酷いタイトルなんでしょう。
 だって二月は、ずーーーーっと家の中にいて、ずーーーっと練習していたんですもの。

 そして、巷で流行り中のインフルエンザの波に私も乗っています。絶賛波乗り中です。
 加えて顎関節症にもなってしまい、二月はもう散々な月でした。苦笑ものです。

 さて、何故こんなにも家に詰めて練習しているかと言えば、これから来る弥生・卯月・皐月には本番が山盛りなんです。だから、今月までに曲を完成させて、来たる本番に備える作戦です。
 
 ざっと曲をご紹介。
 ベートーヴェンop.101 ブラームスop.76・119 モーツァルト協奏曲27番
 ラフマニノフ音の絵op.39-9 プロコフィエフ協奏曲3番.......

 主にはここらへんですね。
 特にブラームスは新しいレパートリーでもあり、集中的に練習していました。

 三月には色々な予定が入っているので、また楽しい写真なども更新できるかもしれません。
 では今日はこの辺で。
 みなさまも体調には留意され、快適な日々をお過ごしくださいね!!




反省;;;↑もう、全部でしょ。
 
 

2016年2月11日木曜日

二月十一日は日本国の誕生日。建国記念日。紀元節。

 実は日本は、世界で最年長の国なんですね。そして世界最古の民主主義国家なんです。
 
▼日本が一つの国として誕生したのは今から2,667年前の旧暦一月一日。この日に、初代の天皇である神武天皇が即位され日本国は誕生しました。それから現在に至るまで"天皇"の下で日本という単一国家は、一度も途切れることなく存在してきました。(日本書紀による。西暦+660年が日本の年齢)

 あれ?でも中国なんかは4000年の歴史って言わない?と思われた方もいるかもしれませんが、中国の歴史を考えれば、それは王朝の交代の歴史・革命の歴史であって、一つの国家の歴史ではないんですね。今の中国が出来たのも1949年なんです。(例えば元寇の"元"ってモンゴル帝国のことなんです。他にも魏・呉・蜀の三国時代とかが有名です)

 では、日本の"天皇"はなぜ"天皇"であり続けられたかと言えば、それはひとえに、天皇が民主主義を尊重する存在であり続けたからなんです。つまりは、日本人の一人一人を差別・区別なく大事に思い、自分の為ではなく人の為に生きる存在だからこそ、現在まで天皇を天皇として日本人は戴き続けてきたんですね。
 それは今上天皇である明仁陛下を見ても明らかな事であって、生涯を人の為に尽くす生き方をされておられますね。

 これこそが日本古来の民主主義であって、民を大事にすると言う意味での本当の民主主義です。(アメリカの民主主義は多数決の民主主義であり、西洋の民主主義は戦って勝ち取った民主主義です。実は、民主主義の概念は、それぞれの歴史や文化に根ざしていて多様なんですね)

 そして天皇陛下の御存在は日本人のみならず、世界の人々からも普遍的な価値として認められています。それは例えば、人類の罪を背負って処刑された主・イエス=キリストの精神にも通じるためです。
 
 今の壊れ行く世界の中で、世界に誇れる日本の民主主義を持っていることを僕たちは確認し、また感謝して、先人達の歩みを止めぬようにしたいですね。

2016年2月2日火曜日

J.Brahms op.119

 先日のクラスコンサートで演奏をしました。
 この曲は、舞台に初出しだったので身体・演奏共に硬くなっていますが、成長の課程の一つとして掲載します。お楽しみください。



 

 追記;
 お母さんハッピーバースデイ。





2016年1月21日木曜日

古楽の愉しみ

 ピート・クイケン教授の下で研究を始めて、新鮮な驚きと発見が沢山あります。
 
▼現在、コロカテール(共同生活)を僕はしているのですが、この同居人が※フルート・トラヴェルソをされている方で、古楽的なアプローチについては断片的に耳にしていました。しかし、断片を集めて形にする事はやはり難しく、その時の感覚では理解できない話がいくつもありました。
 この断片を理解するために、一つの見取り図を示して下さったのがピート先生です。
 
 バロック・古典の枠組みとは何か。その枠組みを拡げる為にベートーヴェンは何をしたのか。アーティキュレーションをする場所はどこか。その効果は。旋律の掛け合いと応答、、等々。
 そして、これらを用いて如何にして音楽のクオリティを高めるか。
 
 Qualité du son(音の質) Qualité de l'harmonie(和音の質) Qualité de la musique(音楽の質)
 
 これらの意味を耳で感じ取り、または想像して実行に移す方法を知ったときに、僕の演奏は変わり始めました。音楽の楽しさを初めて実感しました。
 楽譜の読み方が変わる。すると音やフレーズの作り方が変わり、音楽が変わる。
 広大な海を行く船や、無限に広がる空を飛ぶ飛行機には羅針盤が必要なように、音楽を開拓していく場合でもコンパスは必要なんですよね。
 でもまだまだ、もっと上手になりたい。
 自分のアンテナを張って、いろいろな刺激を求めるためにも、すべては行動する事からですよね。
 
 ▽さ、今週末には伴奏のお仕事があり、来週にはクラスコンサートがあります。
 自分の欲しい音・音楽をもっと掘り下げて、栄養満点の演奏ができるように今日も精進します。
 
※フルート・トラベルソ 
 金属フルートが誕生する前からあった、木製のフルート。心を包み込むような音がします。
 
 反省;
 タイトルは、とあるラジオ番組から拝借。。。リスナーの方、怒らないでね。僕も古楽が大好きなんです。初心者だけど。
 
 

2016年1月8日金曜日

夜想・・・。

 徒然なるまま、夜中に、色々なことを考えていました。
 
 留学生活も佳境を迎え、残すところあと二年。(←後述)
 初めてフランスに来た時には、まさかこんなに長い間の留学生活になるとは全く考えていませんでした。
 
 これからベルギーでの二年を終えると、今は散発的に引き受けているピアノの指導の方へと、本格的に力を入れ始めます。だから、じっくりと在籍して勉強出来るのは、この二年で終わりと言うことです。
 普通ならば、二年の留学期間で終わる方々も大勢いらっしゃる中で、本当に思い切り勉強させてもらっています。
 そう思うと残されたこの二年を、本当の本当に悔いが残らぬよう、一日を懸命に過ごそうと考えていて、、、眠れなくなりました。
 
 今週にはベートーヴェンの協奏曲3番を仕上げて、来週からはブラームスのop.76を完成に向けていきます。
 そのあとは、"ショパンエチュードop.25を全曲制覇だproject"か、もしくは愛するスカルラッティをするか、はたまたモーツァルトの協奏曲27番を復活させるか。
 人生は選択・岐路の連続ですね。

 
 さぁ、ブリュッセルは夜明けです!!!
 キンキンに冷えた朝に、自転車で学校へと向かいます:)

 ※自転車はブリュッセルの貸し自車villo。プロフィールの写真で乗っているやつです。
 
 

   励みます。


反省: 寝不足はお肌に良くない。ほんで毎日を充実して過ごすには、充実した睡眠が必要でしょ。そのためには、うだうだ考えずに、目の前の音楽に集中しなきゃね。