2017年1月5日木曜日

新年あけましておめでとうございます 二,六七七

 旧年も静かにゆき去り、また、新しい年を迎えることが出来ました。
 みなさまはどのような新年を迎えられましたでしょうか?
 さぁ、今年も一年、来年まで頑張りましょう!! わはは

▼さて、今年の年越しは、最近知り合った友人のお宅へと伺い、4人の方々と共に過ごしました。そのうちのお二方は、ヨーロッパ政治を学ばれた方で、もうお一方は工学を専攻されている方なのですが、かくかくしかじか各種ア・ラ・カルトな話題が尽きずに、なんとも楽しい年越しでありました。

 特に現代政治の話題では、侃々諤々の大議論。
 夜が更け、朝になるまで、現在進行形で壊れ行く世界について話し合いました。
 興味深いのは、これだけお互いに疑問をぶつけあったり、主張をしているにも関わらず、まったく不愉快な気持ちにならないことで、むしろ爽やかな気持ちになりました。
 僕が思うに、互いが互いに相手の話へと耳を傾け、あざ笑うような事は一切せずに、目を覗き込んで、真剣に向き合ったからではないかなぁ。と、思っています。
 こういう人間関係が、僕は一番好きです。

 心強かったのは、政治学専攻の友達と議論をするのは当然として、そこにキチンと工学専攻の方が参加していたことです。
 ちょっと話はずれるようで、ずれないのですが、時たま友達から「尾関君は政治が好きだね」と言われます。僕はこれに、とてつもない違和感を感じていて。。。僕は「好き」で政治に関心を寄せている訳ではないんですね。

 「政治」って、難しそうに見えて実はそうじゃなくて、単に、僕たちが生活していく上でのルールや約束事を決めているだけの話なんです。
 「外交」だって、僕たちの利益が損なわれないように、お互いの利害を調整したりしているだけ。
 すべからく「僕たちのこと」を決めているのに無関心ではいられないと思うのですが、、、いかがなのでしょう。

 そして特に、音楽家などが表現をするためには、自らに対して自覚的である必要が大きいと思っています。自らとは、すなわち文化であり、国であり、世界なんではないでしょうか。

 例えば世界では、テロの脅威が増え、紛争が多発し、貧困がはびこっています。
 これに深く思いを致さないで、「祈り」の表現であったり、「音楽家の使命」であったりが生まれてくるのでしょうか。
 例えば祖国に対する認識が薄い日本人が、西洋のクラシック音楽を演奏する意味があるのでしょうか。

 世界のすべては所詮、人間の成すことで、それは個の中にも還元されます。
 だからこそ音楽家は、自覚的であるためにも、政治について少なからず思いを致す必要があると考えています。

 、、、、、、と、
 やはり政治になると熱くなってきてしまいますね。

 その他お正月は、音楽友達のお宅にも伺い、お節料理を頂きました。
 関西風の御雑煮や昆布巻きなどを頂き、日本料理の奥深さを知り、ヒレ酒で至福の余韻を楽しみました。ありがとう。

〆今年は個人的にも、世界的にも、必然的な変化の年となります。
 この変化を楽しめるように、過ごしていきましょう。