2018年1月24日水曜日

音楽のキキ方。クラシック音楽って、なんかよく分らない?

 さて。僕はこう見えてもピアニストなのですが。(どう見えているかは置いておいて)
 こう見えてもピアニストなので、※クラシック音楽の面白さや、西洋音楽芸術の楽しみ方を、少しは心得ていると自負しております。
 しかしながら、音楽を専門としていない方の中には、西洋音楽芸術をどのように理解していいのか分からないと漏らされる方も多く見受けます。
 
 そこで今回は、【クラシック音楽の観賞のキキ方】について、自分なりの考え方を記します。

※僕は"クラシック音楽"の邦訳として"西洋音楽芸術"がふさわしいと思っています。
 我々の扱うレパートリーの多くが西洋のものであり、当たり前のようではありますが、西洋で発展してきた音楽の芸術という事で、より具体的にイメージを喚起して説明できる呼称だと考えています。
 その上で、しかし今回は、文章の読み進めやすさを考慮に入れて"クラシック音楽"と記します。

▼クラシック音楽は、聴くものなのか。それとも、聞くものなのか。

 ここからが本題。クラシック音楽は「聴く」のか「聞く」のか。おそらく多くの方がクラシック音楽を「聴く」を選択されるのではないでしょうか。
 
 「聴く」を英語にするとListenです。

 僕の思うに"聴く"の中に含まれる意味として「そこから何かを理解する」とか、「なにをしたいのかを感じ取る」。もしくは「一音一音に集中して逃さないようにする」など。音楽に対して自ら働きかけたり、なにかしらの答えを見つけようとする意味合いが含まれているように思います。

 たしかに、音楽家としての僕がクラシック音楽を聴くときには、その演奏者がどのような意図で解釈を行うのかなどを、自らの知識と経験に基づいて分析しながら聴いている節があります。そして、演奏者がその曲に対して込めた情熱を感じ取り、良いところを見つけてその意図を理解しようとしています。

 上記のものは一例ですが、おそらくこの様な姿勢で音楽に接する事が音楽を聴くという事なのではと思っています
 するとでは一方で、クラシック音楽を「聞く」とする漢字は間違っているのでしょうか。


▽否。僕はクラシック音楽を「聞く」も正しいと考えています。いったい全体、それはどういうことなのか。。。

 「聞く」に該当する英語はhearでしょう。

 この漢字の使い方は「音楽が聞こえて来る」や「その話を聞く」など。ほかに「聞き流す」とは書きますが「聴き流す」とは書きませんね。この態度は、その物事の細部を理解しようと努めるよりも、全体として漠然と内容を把握する姿勢ではないでしょうか。

 また、例えば「私はクラシック音楽を聞いている」だと普段の習慣のようにも取れますし、漫然と聞き流しているようにも受け取れます。耳を一生懸命そばだてている感じはしませんが、しかしそれでも、僕はクラシック音楽を「聞く」も正しい考えています。


 では、クラシック音楽の「聞き方」とは、どのような姿勢なのでしょうか?


▽例えば想像してみてください。

 あなたは緑の多い公園でベンチに座っています。
 あたたかい日差しのもとで、芝生の上では子供と犬が元気よく走り回っています。
 気持ちの良い風が通り過ぎ、草木がかすかに揺れています。
 その時に聞こえて来るのは、風の通り過ぎる音。
 とても気持ちの良い、リラックスした状態ではないでしょうか。

 さて、この時にあなたは、風の通り過ぎる音を"聴こう"とはせずに、浴びるように音を"聞いている"のではないでしょうか。

 クラシック音楽を"聞く"とは、このような音楽との向き合い方の事と思います。

▽レストランの料理に例えてみましょう。

 あなたはお気に入りのレストランにいます。
 あなたの食べたい料理を注文し、
 少し待っていると美味しそうな料理が運ばれてきました。
 早速あなたは料理を口に運び、その味をゆっくりと楽しんでいます。

 さて、この時にあなたは、
「火の通し具合はどうかしら?」
「調味料の割合はどのくらいかしら?」
「風味付けの香草は何を使っているのだろう?」と考えているでしょうか。

 それよりも、その料理の「おいしさ」をリラックスした気分で感じているのではないでしょうか。

 美味しい。嬉しい。楽しい。

 一方で、火の通し具合や調味料について考えを巡らせている方は、「その料理を聴いている」方なのだと思います。

 では、この二つのどちらの食べ方が、正しい料理の楽しみ方なのでしょうか。
 言うまでもなく、それぞれの楽しみ方があって良いですよね!!

∴なぜ今回このようなまどろっこしい記事を書いたかと言えば、それはクラシック音楽のキキ方に、制限を持たないで欲しいと思うからです。

 クラシック音楽を分からないと思われている多くの方は、クラシック音楽を聴いてそれが何かを理解し感じ取り、自分の感性が豊かになるように、成長の機会を役立てなくてはいけないーーーーー。と思われているのではないでしょうか。(誇張して書いています)

 しかしクラシック音楽は、あなたが聴こうと思わずに音に身を任せて聞いていても、それだけで楽しく心地よいものなのです。

 それは丁度、気持ちの良い風を感じるように。美味しい料理を食べるように。
 何かを理解しようとしなくても、そのままリラックスして楽しんで頂いて良いのです。
 そして、あなたがそのままで心地よく快く浴びるように受け取ってくれれば、それだけで、あなたの心の筋肉になってくれるものなのです。


☆ただし二点だけ、上記の点には条件が付いています。

①料理のおいしいレストラン(良い演奏である事)である事。
②二つ目は、あなた自身が味音痴でない事です。

 一つ目は、実は意外と目を向けられていない問題なのではないでしょうか。
 クラシック音楽の演奏家だってピンキリです。それはレストランの全てが美味しいお店ではない事と同じです。これがクラシック音楽だからと言って、あなたが「これは美味しくない」と言ってはいけない理由にはならないのです。

 二つ目は、先述の「ただ身を任せればよい」と矛盾するように思われるかもしれません。しかし、あなたが塩か砂糖か分からないようなら、豚肉か牛肉か分からないようでは、さすがに美味しいもまずいもない訳です。

 しかし、もしもこの点について心配のある方は、普段のご自分を思い起こしてみてください。
 例えば読書をしているだとか、何かについて情熱を燃やしているだとか、専門の勉強をしているだとか、会社でプロジェクトを成功させたいだとか、映画を楽しいと思うだとか、花を綺麗だと思うだとか、誰かを大切にしたいと思うだとか等々等々。。。

 例えばそんな事を思える方なら、必ず音楽の美味しさを分かることが出来ます。だから自信を持って音楽を聞きに来て下さい。

 深呼吸をして、自分を真っ白にして、音楽を浴びてみてください。きっと美味しい音楽は、あなたの心の筋肉になります。

▽一方で音楽の聴き方を知っている方は、どんどんと音楽の楽しさを追求されて、自分の美味しい音楽を既にご存知と思います。それは素晴らしい事ですね!

 僕は、クラシック音楽を聴くのも聞くのも、どちらも正しいとは考えています。

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