2019年7月28日日曜日

芸術とは何か

▼『自然は芸術の源である』とはよく言われることではあるが、すなわち自然そのものは芸術ではないのである。
 考えるに、芸術とはきわめて人工的なものなのだ。むしろ人工的でなくては芸術ではないといてもいい。例えば僕たちは草深いジャングルに分け入ったときに、芸術を感じるだろうか。そこに無造作に咲く薔薇の花に芸術を感じることができるだろうか。
 人は整えられたものに美を見出す。
 例え故意に整えられていない風を装ったとしても、製作者がそれを美しいと思って乱したものならば、それは逆説的に整えられていて芸術になってしまうのだ。
 Artと言う言葉を紐解いてみたら、それはもはや明白だ。この言葉は『芸術』と邦訳もされるが、『技術』と言う意味も持つし、言葉を組み合わせれば『武術』や『方法』などと訳すこともある。
 派生する言葉には『職人』を表すArtisanや、『記事・品物』を意味するarticule、『策略・技法』を意味するartificeなど枚挙にいとまがない。
 
 いよいよ芸術とは人工物なのだ。
 僕がこの確信を持ったのは、英博物館の絵画を鑑賞している時。
 遠くから目の端に映った大輪の花に惹かれて、その絵画に近づいた時であった。その見事な花の前面に少しだけ、本当に少しだけ被さるようにして、一つの細い木の枝が描かれていたのであった。
 その絵画には不必要にも思えるその枝ではあるが、絵画であるから、作者が意図せずにその枝を描いたことは考えづらい。作者は明らかに意図して、確信をもってその一つの枝を描いたのだ。
 僕にはその時、作者のメッセージが聞こえた気がした。
 つまり芸術とはすべてが計画され、意図された物のことを指すのだと。
 芸術とは圧倒的に意図的な人工物なのだ。
 意図的に整え意図的に乱す。
 その意図に鑑賞者は心を動かされるのだ。