2019年11月24日日曜日

【2019年12月6日 1st CD発売のお知らせ】


 沢山のご支援とご協力を仰ぎながら、やっとで辿り着きました。なかなか面白い仕上がりになっているのではないかと思います。配信はすでに始まっております!!
▼録音の際には、帰国後出会った最高の調律師のお一人である郷健夫さんに調律を行っていただきました。施設にあるピアノも、長年、郷さんが手掛けられてきた最高の楽器です。この楽器に出会わなかったら、CDを作るという決断は生まれてこなかったであろうと思います。
写真とジャケット製作にはブリュッセルでご一緒致しました石橋輝樹(Teruki Ishibashi)さんのお力をお借りいたしました。 ジャケットのイメージを伝えただけで、すぐに僕のイメージ以上の作品をご提案頂きました。
 また流通を手伝ってくださるナクソス・ジャパン様にも感謝感謝です。分からないことだらけの流通に関して、現実的で的確なアドバイスをいただき、とても心強く思いました。また、この御縁を繫いでくださった内藤晃さん(Akira Naito)にも、改めて感謝を申し上げます。
そしてなにより自分!!
よく頑張りました。笑
録音から音源づくり、調査、勇気、なかなか大胆な挑戦でありました。
そうだ。僕をいつも唆してくれる録音の師匠である武田先生(Tomonori Takeda)にも感謝です。笑
▼アルバム情報ページ
http://naxos.jp/special/khagga-001
~唯一の道を歩む尾関友徳が示すピアノ哲学。録音から編集までのすべてを自身で監修した異色のアルバム。~
ピアニスト・尾関友徳の自主レーベルによる第1弾アルバム!アーティスト自らのプロデュース・録音による、C.P.E.バッハとベートーヴェン3作をお愉しみください。
■Khaggavisana レーベル
ピアニスト・尾関友徳の個人レーベル。
最も古い仏教経典であるスッタニパータ。この第一”蛇の章” 第三番『犀の角』(Khaggavisana)より引用。
世の雑事に惑わされることなく、ただ一心に音楽を求める。
貪ることなく、詐ることなく、渇望することなく、見せかけで覆うことなく、濁りと迷妄を除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。(中村元訳/岩波文庫 ブッダのことばより p.20 五六 )

2019年11月11日月曜日

einen Kaffee bitte 〜カフェを一杯〜

▼パリでカフェを頼めば必ずエスプレッソが出される。でもエスプレッソと言えばイタリア。スペインもエスプレッソだけれども、友人の話によるとそ大量の砂糖を加えて飲むのだとか。ベルギーではおそらく、少し大きいコップに入ったlongカフェが主流かな。
 さてさてそして、今回訪れたウィーンはと言うと。コーヒーを頼むと「どれにするの?」と聞かれる訳です。
 僕としては普通のコーヒーが飲みたいわけで(つまり僕の場合はブラックコーヒー)、そうお願いすると、なんと牛乳を泡立てたのが乗ってるコーヒーが出てきたんですね。いわゆるcafe viennoisってやつです。またあるお店ではミルクが必要か否かを訪ねられ、なんと国によって色々あるなぁと楽しく思ったわけです。
▼話は少し変わって、ウィーンに滞在中は名物の'グアーシュ'と'ケバブ'ばかりを食べていました。(ゴヤーシュ?グラーシュ?)
ケバブに至っては滞在中に三回も食しまして、と言うのも、パパっと済ませたかったり、お腹が空きすぎて入った小綺麗なお店がケバブ屋さんであったりと、まぁとにかく何かと縁かとあったのです。
 しかしケバブと言って侮るなかれ。ウィーンのケバブはめちゃくちゃ美味しい!!
▽正確にはピタと言う食べ物で、薄い皮で巻くケバブとは違い、野球のグローブの様なパンに野菜や肉を挟んで食べるものです。ウィーンのピタ屋さんは、どのピタも注文を受けてから生地をオーブンで焼くので、いつも焼きたてのピタを食べることが出来ます。
 そんなピタを何度か食べているうちに「この食べ物はいつの時代からあるのだろう。ここに住んでいた作曲家達も食べたのかなぁ」と疑問が湧き、早速wikiで検索。
 wikiによれは中東や地中海・北アフリカでよく見られるとの事。
▼そう、ここで僕は気付いたのです。歴史を紐解けば、ウィーンと言えば中世オスマントルコ帝国の進撃を寸での所で食い止めた場所なんです。
 実はウィーンのcafe文化の発祥も、オスマントルコ軍が撤退した際に残して言った黒い液体からの始まっていて、やはりそのままでは苦すぎるのでミルクん入れたのがcafe viennoisの由来だとか。(小室直樹著 イスラム原論p373を参照)
 おそらくピタもそうやってアラブから伝わってきたのだろうし、そして作曲家達も絶対にピタを食べていただろうなぁと。そういえばモーツァルトやベートーヴェンののトルコ風行進曲も、アラブの記憶が鮮明であったことの証左であったり。(1683年にはウィーン侵攻があったが、辛うじて食い止めた)
 かくも古代から現代にかけて、西洋と中東の交わりは深いもので、沢山の痕跡と進行中の出来事を感じることができるわけです。その関わり方によって、コーヒーの飲み方も変わってくるのかなぁと考えつつ、現在では皆が当たり前のようにそれを味わっている。
▼僕はこの、ある意味での"普通"の中にこそ、その国の特殊な色が見える気がして、食べていたピタがより一層美味しく感じられたのでした。