2016年3月11日金曜日

パリの現場を歩く

 パリへ行ったもう一つの目的。それは昨年の11月13日に起きたテロの現場を廻る事です。
 今回は少しだけ廻れた現場について記します。


パリ北駅にて。金属探知機での検査

▼パリ北駅に着いて最初に目に入ってきたのは、ヨーロッパの高速鉄道であるThalys(タリス)乗り場に設置された検問でした。テロが起きて以降、乗客は出発20分前にホームへ着いて、荷物のチェックを受けています。乗客には多少の不便となりますが、やはり安全には代えられません。みなさん普通の事として検査を受けていました。

 ちなみに下の写真は、ブリュッセルのThalys乗り場へ向かう道なのですが.....





 見ての通りスカスカ。なんの検査もありませんでした。これはあべこべで、パリにテロリストが入って来ないようにするための検査じゃないの?と思ってしまいました。一応パリに着いたホームでは警官が4人立って目を光らせてましたが、それだけでいいのかなぁ。
(アラブ系の方を捉まえては、チェックしているらしいです)

 テロリストは目立ってなんぼなので、やはりブリュッセルでテロを実行するよりも、パリで実行すると思うのですが、ここらへんのアベコベ感は、ヨーロッパ特有の緩みなのかなぁと感じました。


現場であるBichat通りの最寄り駅

▼パリに着いたその足で向かったのは、先日起きたテロの現場です。

 "テロが起きた場所"ということで少し緊張して赴いたのですが、実際に現地へと着くと拍子抜けするほどの普通の場所でありました。現場は、有名なシャンゼリゼ通りなどの華やかな場所ではありませんが、私の知っているパリ。パリっ子が生活する"普通のパリ市"でした。

現場のcafe CaRillon. このカリオンとは鐘の事
目線。向こうから車でテロリストがやってきて銃を乱射
お店の隣には鎮魂のメッセージが

お花も捧げてありました


 僕がそこを訪れたのは早朝であったので、お店はまだ閉まっていました。

 しかし夜には絵にもあるように、のんびりとお酒を楽しんでいたんだろうなぁ。
 まさかここがテロの標的になるのか??というような場所で、本来ならテロのターゲットになる場所ではないのです。それだけに、これからのテロをいかにして防止するかの難しさを、改めて考えてしまいます。

 壁に貼られたメッセージには、犠牲となった友人たちへ思いを寄せる言葉が綴られており、ここがみんなの憩いの場であったことを思わせます。なんとも、胸が締め付けられる思いです。

 
バタクラン劇場

 次に僕はバタクラン劇場へと赴き、そこでは白バラとベルギービールと祈りを捧げてきました。


画面右手にはフランス国旗が掲げてある
銃弾によってエグれる壁。この破壊力が人に当たる場面は想像を絶する。

泥棒防止の柵が、皮肉にも避難の妨げになりました。

あなたはもうここにはいない、じゃああなたはどこへ。あなたはいつも私達の傍にいる。





 現場から戻った今、私が改めて思うことは、僕が訪れたテロの現場は"テロの起こった場所"ではありますが、実は、"普通の生活の中で不意にテロが起きた"のだ」と言う事です。
 つまり、パリを見る視点が"テロの現場"から"日常の現場"へと移り変わりました。だからこそ、今回の市民を狙う卑怯なやり方や、犠牲になった方々とその家族・友人の悲しみが身近に感じられました。こういう"本当に当たり前のこと"を感じることが、現場を見る意義なのかもしれません。
 現場を回ったその後は、一日パリの街を歩きましたが、そこには普通のパリの日常がすでに戻っていました。


▼さて、今回のようなテロを防ぐにはどうしたらいいのでしょうか。日本も他人事ではありません。
 日本では銃器によるテロは起きにくいと考えられますが、しかし、オウム真理教による地下鉄サリン事件や、日本赤軍による航空機のハイジャック事件などをはじめ、実は沢山のテロが起きています。特にサリンのような目に見えない物のテロは防ぐことが難しく、また、実行に移すのが容易いテロでもあります。
 だからこそ、このようなテロは未然に防ぐための備えが必要なのではないでしょうか。
 国家権力が情報を収集し、事が起きる前に防ぐような法整備が必要と思います。しかしそこには、個人情報などを国家に探られるという問題もあります。この問題を僕たちはどう考えるべきなのでしょうか?

 そこで僕が思い出すのがパリThalysでの検査です。
 乗客は不便を強いられますが、その代償として安全を手にします。
 リスクとメリットを如何に両立させるか。これは表裏一体なのではないでしょうか。

 もちろん国家による行き過ぎた情報収集は糾弾されるべきですが、いまの日本では個人の自由や権利ばかりが過剰に重んじられ、国家の大前提である"命を守るための役割"が疎かになっている気がします。
 テロの時代に入った現代にあって、日本人も本気になって、自分の愛する人を守るためには何が必要なのか、自分たちは国に何を求めるべきなのかを真剣に考える時が、既に訪れているのではないしょうか。


▽今回パリを歩いていて気になったのは、日本人の姿を"一人も"見掛けなかったことです。きっと先日のテロ事件以降、警戒をされて皆さんパリへいらしていないのかな。人づてに耳にしていましたが、これほどまでとは思いませんでした。
 僕が歩いたところ、パリは既にいつものパリです。むしろアジアの観光客が減っていて過ごしやすい。ルーブル美術館も通常なら最低1時間は並ぶのですが、今回は待ち時間なしに入ることが出来ました。これは、パリを満喫するには今がチャンス!!だと思います。

 テロに遭う危険がゼロとは言えません。しかしそれは日本にいてもどこにいても、生きている限り、何かに巻き込まれるリスクというものは常に付きまとうものです。そしてその確率は、日本でもパリでもさほど変わらないのではないでしょうか。せっかく人が少なくなっているパリなので、旅行をお考えの方は検討してみてくださいね。

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