2018年11月30日金曜日

リサイタル 名古屋 Bruxelles

 だいぶだいぶブログの更新をさぼってしまいました。
 と言うのも、去る9月10月は同じプログラムにて、名古屋とベルギーはブリュッセルにてリサイタルを催したために、そちらに注力をしていました。
(ん、11月はなにしてたのかな?)

▼まずは9月29日。名古屋にあるバロックザールさんにて。

 ここのサロンにはベヒシュタインのフルコンが入っています。
 しかしフルコンと申しましてもベヒシュタイン。豊かなで品のある響きが味わえる稀有な場所ではないでしょうか。
 当日は小学生時代からの幼馴染から高校の恩師、金沢からいらしてくださった方や、ドイツで知り合った友人など。多種多彩な方々にいらしていただく事が出来ました。
 サロンと言う会場の性質上、僕もリサイタルと言う緊張感よりも、むしろその場の雰囲気を楽しんでいただくことに心を砕きました。その上で、90分という長丁場に対して、集中力とエネルギーを絶やさないことに注意をしまし。
 結果、いらしてくださった方々には大きく満足をしていただけたようで、役割を果たせたかなと思います。

▼そして10月19日。ブリュッセルにあるアトリエにて。
 
 この日いらしてくれた方のほとんどが、僕のプログラムを見て聞きにいらしてくれた方々でした。
 日本人の、また、プログラムとしても決して耳なじみのあるものではないにも関わらず、聞きたいと思ってくれるということに、欧州の芸術に対する懐の深さを感じられずにはいられませんでした。
 終始、柔らかな雰囲気と笑顔で耳を傾けていただける環境に、自然とエネルギーが湧いてきました。
 本番前には、目を閉じて呼吸に集中し、不安なことを明確にすることによって、それをエネルギーに換える事ができたのも大きな収穫でした。

▽リサイタルについては毎年催していこうと考えています。すでに来年の構想も出来上がり、新しい曲にも取り掛かり始めました。
 十一月は、その切り替えのための準備期間。(と言うことにしておきます笑)

▼さて、その前に来年の一月にはCD録音をしたり、そして二月上旬には東京で、今年プログラムをお披露目できればと考え、調整をしています。

 同時に、まったく新しい挑戦も始まっているこの頃。
 ますます楽しくなれるように精進してまいります!

 リサイタル模様やブリュッセルでの写真などはInstagramに載せてあるので楽しんでくださいね!

 では、またお目にかかります。

2018年8月31日金曜日

名古屋でソロリサイタル 9月29日土曜日 14時30分開演


 大分更新が滞っております。
 と、言うのも、9月に催す私のソロリサイタルの準備をしているからなのです!!

 プログラムは、普段あまり演奏会で取り上げられない作品や作曲家ばかりなのですが、独自の美学と個性が光る、素晴らしい作品ばかりです!!

 みなさまお誘いあわせの上、是非お越しください。


 席数が40席と限りがございますので、お越しいただける際にはご一報いただきたく願います。


ピアノリサイタル 9 月29日 土曜日 名古屋



2018年6月12日火曜日

身体の区分

 今回は身体の捉え方のまとめ。身体全体の区分について。

 これまでは指の使い方や打鍵の仕方について等、身体の細部にわたって詳細に検討してきました。

最終回の今回は、大きな枠組みとして身体を捉え、そこから各部分への検討を行いたいと思います。


▼指先・頭頂・足の先

 身体を大きく捉えるためには、身体の各先端を意識に上げることが効果的です。そうすることによって、意識的に捉えられる空間が飛躍的に広がることを感じられます。

 大きな空間を感じるために、指先・頭頂・足の先を意識します。更にこの先端が空間に伸びていく事をイメージしましょう。



▼手と前腕。そして胴体

 身体を意識的に捉えるために、それを構成している"区分"について認識を持ちましょう。これはつまり"手""前腕"、そして"胴体"です。この時の胴体とは肘より後ろの事を指します。
 

手=指・手の甲・手首

 手は、"指"と"手の甲"・"手首"から構成されています。

・既に検討した通り、指は基節骨から始まり、指の動きは基節骨の内側(底)から始まることを認識しましょう。

・手の甲は中手骨の部分にあたり、指の動きを補助する役割があります。ここをしっかりと指の動きに適合させてあげることが、上達のカギです。 

・手首は中手骨の動きに伴います。
 この時に、手首を"使う"のではなく、"手首の動きに伴うもの"として考えます。


▼手首や腕・肩甲骨は"使わない"、その代わりに"緩める"or"開く"

 一般的に指導をされる際、「腕や手首を自由に使って」「背中から意識して」等の言葉を用いられるかと思います。しかしこの言葉には語弊が含まれていると思います。

 先述した通り、手首から後ろは手の動きに"伴うもの"であって、主体的に"使うもの"ではないのです。あえて付け加えるなら、手首を上下に軽く振る動きが打鍵を助けてくれることもあります。しかし基本的には指の動きと、その動きを補助する中手骨の動きに伴うものだと考えます。

 演奏をする際に多くの身体エネルギーが必要な場合があります。
 この時には、腕や肩甲骨を緩める意識or開いてあげる意識を持つだけで、そこ部分から十分な身体エネルギーが生まれてくることを感じることが出来ます。

 しかし、生まれてきた身体エネルギーも、指先のコントロールが伴わない事には、良い演奏エネルギーに替えることはできません。
 演奏をする際にはまず、指で十分に鍵盤をコントロールすることに重きを置きましょう。 
 
まとめ 

 演奏は"指"で鍵盤をコントロールすることから始め、そこに中手骨を合わせてあげる。手首はその動きに伴い、その延長として前腕も手首に動きに沿う。肘から後ろは使わない、その代わりに緩めるor開けてあげることを意識する。そうすることによって、演奏に必要十分な身体エネルギーが生まれてきます。


 以上で身体の使い方についての簡潔な考察を終えます。
 感覚的なものを文章に落とし込んだので、意図が伝わりにくい箇所もあるかと思いますが、折を見て文章なども改善していこうと思います。

 次回からは"楽譜の読み方の原則"について記していきます。

2018年6月4日月曜日

宗次ランチタイムコンサート 満員御礼

 お越しくださった皆様ありがとうございました!!
 舞台上ではなんだか楽しくなってしまって、もう少し大人しくしていればよかったかなと思っています。
 次にまた参加する機会がある事を心待ちにし、また皆さまとお目に掛かれればと思います!!

 尾関友徳 拝




2018年5月19日土曜日

宗次ランチタイムコンサート 5月31日

 忙しさにかまけてブログの更新を怠っています。これを機に復活しよう:)
 身体の使い方のまとめについてもかかなければ!!
 その前に、今回はお知らせです。


宗次ランチタイムコンサート


 5月31日。
 
名古屋の宗次ホールさんでほぼ毎日開催されている≪宗次ランチタイムコンサート≫に初めて登場いたします!!
 と言っても今回は伴奏がメインのお仕事ですが。一曲だけリストの愛の夢を弾きます。(名曲ですね。。。)


 日々伴奏の練習をしているので、伴奏スキルの高まりを感じる今日この頃。おぜっちの伴奏スキルが気になる方は確認しに来てください。笑
 良いコンサートになるように努めます。


2018年3月23日金曜日

手のひら・親指・手首について

 前回までは"指"について詳しく検証してきました。
 今回はその指につながる場所である"中手骨"から見ていこうと思います。

▼鍵盤を狙う

 中手骨は"指"と"手首"の間に位置しています。
 ピアノを弾く際の主な役割は、指が鍵盤の上に来るように鍵盤を捕まえに行く役割です。中手骨で打鍵を狙い、指ではなく中手骨で鍵盤を捕まえる意識を持つと、手のひらに付いている筋肉の余計な緊張なしに、スムーズに指が活躍する準備ができます。



▽中手骨の場所は手のひらの場所と重なります。場合によっては、この手のひらの重さを鍵盤に伝えることもあります。

 中手骨の底から動かし、中手骨の頭に向けて重さを振ります。重さの振り方は、その時に求める音の質や音の大きさによって変化します。

 音の質・音の大きさは鍵盤を動かす速さで決まります。鍵盤を動かすと、ピアノの中の装置が動き、ハンマーにエネルギーを伝え、弦を打ちます。この鍵盤メカニック装置全体にも重さがある為に、手からの重さをどのように鍵盤に伝えるかも等しく、打鍵の速さに関係してきます。



▼親指は鍵盤に対してやや垂直に

 親指には中節骨が存在しないため、末節骨と基節骨の動きで鍵盤をコントロールします。打鍵は親指のやや側面で、鍵盤に対して垂直に行います。
 特に、早いパッセージの場合は、親指の中手骨が鍵盤の前にある事を意識します。
 

▼手首は指と手のひらの働きを邪魔しないよう

 手首に役割はありません。
 あえて言うならば、普通の場合は手首をゆったりと伸ばし、指と手のひらの活動を邪魔しないように、その動きに委ねるのが良いでしょう。そうすれば自然と、いわゆる"手首が使えている状態"になります。


まとめ

・中手骨で鍵盤を狙う
・手のひらの重さを振る
・親指は垂直に触れる 
・手首はこの動きに伴う


次回は身体の区分・まとめ

2018年3月5日月曜日

"指"の動き

 今回は指の働き方について

▽この項を書くにあたっては苦心を重ねました。と言うのも、この項を書くために自分なりの再検証を試みている中で、次々に新しい気付きが得られました為です。すると自分の中での表現が次々と新しい言葉の書き換わっていきました。

 そんな中で、一つのまとめとして、ある程度確定的な部分を記そうと思います。

▼指の動きの起こる場所

 基本的な"指"の動きは、基節骨のから起こります
 そして指の動きが起こる場所は手のひら側(内側)にあり、基節骨の底を起点として、指の動きは中手骨と区別されます。



▼中節骨

 基節骨と末節骨の真ん中に中節骨が存在します。(基になる骨があり、末に骨があり、その中間に骨がある)
 鍵盤のコントロールは、この三つの関節の底をよく意識して、打鍵の力が手の内側に向かう事を感じながら弾くとよいでしょう。
 
 
▼連動する指

 指の動きは、指先の動きに伴います。三つの関節は連動して、打鍵の強さや音色作りを担います。
 厚みのある音色を求める時ほど、基節から動かす意識が必要となり、パッセージが細かくなるにつれて末節の動きへと移行していきます。

▼身体からのエネルギーを受け止める

 基節骨は、身体からのエネルギーを受け止めて支える"要の場所"でもあります。この時も、エネルギーを受け取るのは常に手のひら側(内側)であり、エネルギーが手の外側に逃げないように注意しましょう


まとめ
・指の動きは底から起こる。
・動きはいつも内側に向かう。
・末節・中節・基節骨の底が連動して鍵盤をコントロールする。


次回は親指・手のひら・手首について

ホリエピアノ研究所にて

 昨日は、昔からお付き合いをしている地元の調律師さんのサロンにて、お子様向けのコンサートに呼んでいただきました。


2018年3月4日


 今回弾いた作曲家は、ショパン・ハイドン・リスト・プロコフィエフ。
 我ながら、この四人の作曲家をお子様に聞かせるのは難易度が高くないかと思いましたが、"本物の音楽に触れる機会を"とのことで、調律師さんからのGOサインが出ました。

 さて、今回の本番の持ち時間は一時間なわけです。曲全体の分数は全部で23分程度。最後に質問コーナーを15分設ける予定だったので、残りの約20分はお話をしなくてはいけないわけです。。。むむむ。。。

お話し中の様子
  前回のCafe Runeでのコンサートでの話も参考にしつつ、今回も時代と作曲家の違いについてや、国と食文化の違いについてなど。お子さまにとって楽しい話を意識しつつも、大人の方にとっても興味深いお話を意識して務めました。


幸いにして演奏もお話も、皆さまに大変楽しんで頂いたようなのでホッと胸をなでおろしています。(←強調しておきます笑)

 質問コーナーでは、お子達から鋭く素晴らしい質問が沢山いただけました!!中には二度も質問をくださるお子も。そして何故か調律師さんからの質問や、逆に私が調律師さんに質問を求めることも。皆さま素晴らしい対応力でありました!!

 こんなコンサートもどんどんできたらいいなと思う、昨日のコンサートの報告でした。

 

 

2018年2月26日月曜日

Cafe Rune Concert


 先日は、友達のご家族の経営されているカフェに御協力を頂いて、第1回目のカフェコンサートを催すことができました。

 このコンサートの趣旨は、来てくださる方々の目を覗き込める距離で、音楽の面白さ・その曲をどう面白いと思っているのかをお話ししながら、より深くクラシック音楽に触れていただく機会を設けることにあります。

 初めての企画をしてみて、自分自身で気付いた事や改善点なども見付かり、また幸いにも皆様にも喜んでいただけたようで、嬉しく思っています。

 これからこのような機会を各地で設けて、少しずつクラシック音楽ファンを増やせたら良いなと考えています。

 ここでも改めて、御協力下さったCafe Runeの方々と、いらして下さった方々に感謝の気持ちを示します!!ありがとうございました:)))




"指先"の動かしかたについて

 今回は、ピアノ演奏をグッと上達させる指先の動かしかし方について

▼タッチは指先から作る

 僕が目にした多くの教則本には「肩は背中の肩甲骨から.....」と書いてありました。それはその通りなのですが、僕からしてみると「それでどうすれば?」と言うような状態でした。
 たとえ肩甲骨からエネルギーが発生しても、音を作り決定するのは指先です。指先で鍵盤をコントロールする感覚をつかみ、表現によって手首・肘・肩・腰とエネルギーを足していく方法が良いでしょう。
(実際多くの場合、全ての部位のエネルギーをMixして用います)

▼指先のタッチ

 指先のコントロールを感じるためには、最小のタッチがどこから生まれるのかを知る必要があります。タッチは指先から作るので、指先で作るタッチが最小です。この最小のタッチを"指先のタッチ"とします。

 肝心なのは、この指先のタッチがどこから始まるのかと言うことです。

 この動きは指の末節骨の根元から始まり、ここを動きの始まる起点とします。
また、この起点は必ず指の内側にあります。
 末節骨の根元から指先を動かす感覚と、鍵盤を捉える感覚、そして末節骨の根元を鍵盤の底に落とすような感覚を、練習で掴みましょう。




▼足先の意識もあげる

 指先だけに集中しようとすると、一点に集中し過ぎて体が強ばってしまうことがあります。肩凝りの原因でもあり、音に対する感度を鈍らせる原因でもあります。
 それを和らげるためにも、指先と同時に、もう片方の先端である足先を意識に上げることによって、より高次元の感覚を得ることができます。

まとめ
・指先タッチは末節骨から
・鍵盤を捉える感覚を養う
・足先も意識にあげる


⇒次回は"指"の動かし方について

2018年2月19日月曜日

座ること

 今回はそのまま。座ることについて。
 ピアノを弾かれない方も、普段の生活の中で役立てることが出来るので是非実践してみてください。

▼理想の姿勢

 理想の姿勢とは、いったいどのような姿勢でしょう。一般的に想像されるのは、背筋をピンっとのばしている状態を思い浮かべられるかも知れませんが、実はそれは理想の姿勢ではありません。
 最も理想的な姿勢では、全身の筋肉は無理なく緩み、それにも関わらず全身のバランスは保たれています。

 それを実現するのは簡単で、頭の上に風船がついているのをイメージすることによって、全身のバランスが整えられます。
 
▼足・腰・頭を常に意識にあげる

 更に、身体の両端である、そしてこの中間に位置するを意識に上げましょう。ここで言う腰とは仙骨の事です。

 頭のテッペンから、背骨の真ん中を通り、足の真ん中へ。
 三点から成るあなたの軸が身体を貫いていることを感じましょう。
 頭に風船がついているイメージも忘れないでくださいね。

 他の方法として、座禅をくむ姿勢をとってみましょう。お尻の下に太めの座布団を入れると、座りやすくなります。

 目を瞑り、左右にゆっくりと身体を揺らしてみます。あなたの身体の中心を感じてみましょう。次に身体を前後にゆっくり揺らして、あなたの中心を感じてください。
 ここで感じるあなたの中心は、目で見た時に真っすぐでなくても構いません。
 
 一人一人の身体は歪んでいるので、その中であなた中心を見つけることが大切です。
 この時も、頭の上にある風船はイメージしてくださいね。 

 あなたの中心を見つけることによって、全身の筋肉の緩みを知ることが可能となり、筋肉の状態を知ることが出来ます。 

▽ピアノを弾くときは手・足・腰を意識する

 前回ピアノを弾く際の体勢として、手・足・腰の三点を意識すると、捉えられる空間の範囲が広がると記しました。この三点に頭を加えることによって、より意識的な演奏が可能になりますが、頭については、始めのうちは徐々に意識していけばよいと思います。 
 
▼ピアノ椅子の高さはどれくらい?

 椅子の高さは、各個人の体型に合わせて決めるものですが、ここにも基準があります。

①まずは左手で握りこぶしを作ってください。
②そのこぶしを、小指側を下にして鍵盤の上に乗せてみましょう。
③こぶしを鍵盤に乗せた際に、肘が鍵盤より上にある状態にします。
④鍵盤に対して、こぶしが水平か、それより高くある状態が理想的です。
⑤こぶしは鍵盤に置きっぱなし。その状態で鍵盤の下にスッと重さが落ちる感覚があればベストです。

 このように椅子を設定されると、その高さに驚かれるかもしれません。しかしこの高さには理由があります。

①前腕を持ち上げる筋肉を使わない
②肘がゆるやかに曲がるので、腱への影響が少ない
③結果、指先から足までの連結が易くなる
④音を聴く耳の位置が上がり、よく音が聞こえるようになる。
⑤つまり、うまくなる

まとめ
・頭・腰・足の三点を意識に上げ、頭の上に風船についていることをイメージする。
・身体の中心を感じる事によって、筋肉の緩みを感じることが出来る。
・椅子の高さは、肘が鍵盤より下にならないように。


⇒次回は指先の動かし方について

2018年2月16日金曜日

身体の捉え方 ~ 一つの身体として機能するためのポイント ~

 今回は、ピアノに向かう際の演奏者の"体勢"について。
 大まかにポイントを押さえて記そうと思います。

【大きな三つのバランス 足・腰・手】

▼僕たちの持っている身体は非常に高性能です。
 例えば平均体重で言えば男性は66kg・女性53kgですが、この重さをものともせずに、僕たちは走り回ったり飛び回ったりできます。これは、僕たちが本来持っている身体のバランス調整機能が如何に素晴らしいかを物語っていると思います。。。思いません??

 例えば10kgの荷物でも運ぼうとすれば、それはそれなりに重さを感じて、あなたの自由は阻害されるでしょう。しかし、あなたが10kgほど太ってしまった場合、以前より身軽な動きではないでしょうが、あなたは自由の動き回ることが出来ることは、容易に想像できます。
 動物には本来的にこのバランス機能を備えており、ピアノの演奏にこの機能を活かさない手はないでしょう。

【腰は身体の要・重心】

 どのスポーツにおいても、身体の"重心"を捉える事は、その道で上達をするには欠かせない事です。野球・サッカー・柔道・相撲・レスリングetc.....どスポーツでも、重心をいかに捉え動かすかは、勝負の分かれ目になります。
(野球の投手なら、ピッチング時の重心移動。サッカーでは一対一での勝負の際。柔道はいかに相手の体勢と崩すか。。。)
 最も重要なのは"腰"の使い方です。身体を全体的に見た際に、腰が身体の中心に来ています。ここに重心を感じているか否かで、運動性能は大きく変化してきます。

  "腰"と言う漢字は、身体を示す"月"(ニクヅキ)に"要"と書きます。
 名は体を表すと言いますが、諺とは、いつもその核心を突いていますね。

 この腰の重要性は、ピアノ演奏に於いても例外ではありません。

 "腰の重心"が定まっているか否かは、あなたの身体が自由になり、あなたの演奏が自由になるための必須条件です。


 腰の重心は、演奏時に身体の支点となります。
 そして一方で、腰が重心になるという事は、重心を作っている他の点があるという事です。
 その重心を作っている他の点が"足""手"です。演奏者がピアノの前に座っている際には、足と手の中間地点腰の重心が存在していることを、十分に意識しましょう。
すると、あなたの演奏時に捉えられる空間の範囲が格段に広がることが感じられるでしょう。

 ここで一つ気を付けて欲しいのが、"腰"の位置についてです。おそらくみなさんが思う腰は、おへその周りの事を想像されているのではないでしょうか。
 実は、僕が感じて欲しい腰の位置はそこではなくて、もう少しだけ下で奥の場所。背骨の一番下にある仙骨の部分です。そこを体の中心・支点として捉えると、あなたの上体は軽くなり、自由になるための土台となります。





まとめ
・自由になるためには、身体の重心を感じることが大切。
・支点となる場所は、背骨の先端にある仙骨。
・手・足・腰の三点を感じて重心を感じると、演奏時に捉えられる空間が広がる。

 今回はここまで。次回は"座ること"についてついて記します。

2018年2月5日月曜日

僕はクラシック音楽が好きじゃなかった。

これは<高校から大学・フランスへ><ブリュッセルでの日々>の全編版です。


今回は、自分語りを。長々と手短に。
僕が音楽家になるまでの、14年間の変化について。

▼意地で続けてきた音楽

 僕が真剣に音楽に取り組み始めたのは高校受験の時。音楽を専門にする高校があると聞き、勉強より音楽の方が"楽"かなぁと思って受験をしたのでした。
 しかし、当時受験の為に通った先生から「この子は受からない」と言われていて、あきらめるように促されていたのですが、諦めきれずに他の先生を紹介してもらうような始末でした。
 そして泣き泣きの猛練習の末、なんとか合格したのですが、当時の先生から「あなたは40人中40番目で入学しました」と言われたのを鮮烈に覚えています。
 それからは、自分よりも評価の高いやつらに負けるのが悔しくて、いい点数をとるために音楽をしていました。「絶対こんなやつに負けているわけないのに、なんで俺は良い点数じゃないんだ!!」などと思っていました。
  そんな高校での日々の結果、大学も音楽大学へと進むわけですが、そこでもまた紆余曲折あり、叩き落とされる経験をするわけです。

▼大学時代

 大学は、それから長く付き合う事となる友人に出会えた素晴らしい場所でありました。しかし同時に、とにかく辛い苦悶の時期でもありました。
 先生に習うことは実行しているはずなのに一向に上手くならない。それどころかドンドンと下手になっている気がする。練習の為にピアノに向かうと、背中の後ろから重たい物にのしかかられている様に感じる。自分のやりたい音楽が分からないどころか、何が楽しいのか、なにが正しいのか、なにが美しいのか、そしてどうしてそうするのかが全く分からない。
 とりあえず和音の上の音を出して、リズムを正確に弾いて、、、こんなんで自分はピアノを弾いている意味はあるのか。自分の良いところはどこなのか。
 自信も失くし、悔しさと憤りと屈辱感だけが募る日々でした。

 いまから思うと、実はこの時代が僕の原点となっていて、自分のような生徒を少しでも減らしたいと思うきっかけとなる日々でしたが、戻りたくはない日々です。

▼海外へ

 大学4年になり進路について考えていた頃でした。それまでは考えもしなかったのですが、知人の勧めで海外留学を考え始めます。大学四年の5月頃だったかと思います。自分の中でも、このままでは大学院には進めないという閉塞感があり、その折に「また二年間ココに通い続けるの?」「若いうちの、感動の力があるうちに海外に行って欲しい」という言葉に背中を押してもらい、留学へ向かって動き始めます。
 今となっては、僕の人生を変えた素晴らしい選択でしたが、当時としては先の見えない模索の中の選択でした。

▼ナンシー国際音楽祭

 まずは先生探しとして日本でマスタークラスを受けました。そこで運よく「この先生に習いたい」という方に出会い、引き続きレッスンを受けるために夏の講習会に赴きます。

 初めての海外。飛行機。。。

 夕方にパリ東駅に着き、言葉も分からない、なにを食べていいのかも分からない中、東駅で買ったサンドイッチとビールの味は格別でした。これからここで生活していくんだと思いながら見た景色は目に焼き付いています。
 翌日ナンシーへ移動して講習会も始まるわけですが、フランス語なんかド初心者な僕は、先生がなにを言っているのかサッパリな訳です。通訳は頼みませんでした。それでもどうにか雰囲気とジェスチャーを汲みとって理解しました。

 そうだ。いい思い出として。
 講習会期間中に突然の雨が降ったことがありました。
 いわゆるゲリラ豪雨だったのですが、雨が止んだ後に、ナンシーの石畳を流れる水は、太陽に輝いてとても幻想的でした。教会に入ってみると、ステンドグラスが日差しを受けて、やわらかい彩りを表現していました。
 留学を決断してよかったと思った、一つの瞬間でした。

▼フランス時代・パリ

 パリ生活一年目は、これもまた叩き落とされて始まりました。当初目指していたパリ地方音楽院には入れず、エコールノルマルécole normale musique de Parisへと入学します。

 一年目はすべてが混乱のなかにありました。部屋探し・ピアノ探し・ビザ・ビザ・visa・visa....とにかくあっという間に過ぎ去った一年です。

 二年目は前年の念願を果たし、パリ地方音楽院に入学します。
 ここで2年間お世話になったのが恩師、Billy Eidi先生です。素晴らしい人格者であり、教育者であります。彼の音は、ナンシーの教会で目にした光そのものです。

 彼の手により、僕のピアニストとしての土台作りが為されました。
 音の聞き方・タッチについて・楽譜を読むことについて。すべての音楽に関する土台が、彼によって形作られました。この頃やっとで、少しずつですが音楽のやり方が分かりはじめ、もっと上手に弾きたいと思う気持ちが芽生え始めた頃でした。まるで畑の土を丁寧に耕すような日々だったと思います。

 しかし残念ながら学校の規定で2年間しか在学できなかったので、次の学校について検討を始めます。ふと、「音楽で生きていくには修士は最低限必要」との言葉を思い出し、フランス語圏で修士過程を模索し始めるのでした。

▼ブリュッセル時代・ベルギー王立音楽院(仏)

 「この入試に落ちたら、さすがに見込みないしな、ピアノやめるかな」

 音楽院の入学試験にはそんな心持ちで臨みましたが、無事に合格しました。よかった。
 修士時代に最も苦労したのはピアノではなく、一般教養の勉強・筆記試験です。
 音響学・社会学・心理学・法律・音楽史....etc。はっきり言って、フランス語の授業なんて一つも分からないわけで。。。テスト期間では、シラバスを何回も何回もノートに書き写して勉強をしました。おかげで腱鞘炎に!!(←ピアノでなったことがないのに)
 この勉強のおかげで、フランス語の能力は格段に上がりました。いま、多少なりともフランス語の書籍を読むことができるのは、この時の努力の賜物です。

 ピアノ演奏の面では試行錯誤の日々でした。技術面での成長はありましたが、音楽的な成長を感じられる事はありませんでした。だからこそ音楽院の卒業も迫りかけた頃に、留学生活をこれで終えていいのかと言う疑問が湧いてきたのです。

 だから、これで最後だと親に頼み込んで、"隣の"ベルギー王立音楽院(KCB)に入学するのでした。

▽古楽との出会い

 Bruxellesでの4年間での重要な変化の一つに"古楽との出会い"があります。
 そこでは縁があってルームシェアをしていたのですが、そのお相手の方がバロック・フルート奏者の方でした。その方やその周りの古楽奏者の友達との交流は、僕の音楽に対する見方・興味に多大な影響を及ぼしました。
 ほぼ毎日の夕飯時には音楽に関して、音楽が生まれた時代の奏法や習慣についての話を聞くことのできた貴重な時間でした。ここでの交流は、僕の飛躍から覚醒に至るまでの重要な足掛かりになったと感じています。


▼Koninklijk Conservatorium Brussel・飛躍から覚醒へ

 Post Graduatに入学し、ここでPiet Kuijiken教授と2年間を過ごすわけです。彼の最初のレッスンで言われた事は忘れません。

「君は頭がいいし、僕は君に良い影響を与えることが出来ると思う。だからきっと"君の人生が変わるよ"」

 今までこんなに心強い言葉を貰ったことはありませんでした。そして事実、彼は僕のピアニストとしての人生を変えたわけです。

 彼は僕に、楽譜の読み方を教えてくれました。それは、これまで受けたどのレッスンとも違うものでした。僕の中でバラバラに蓄積されていた情報が一気に統合されていく日々は、発見の日々であり、喜びの日々でありました。
 でも全てが順調であったわけではありません。本当に何回も成長の壁にぶつかって、これ以上は無理かもしれないと何度も思いました。挫けました。その分だけ成長も感じられたのですが、その分だけまた壁にぶつかるという日々でした。

▼留学最後のコンサートにて

 とてつもない成長を実感し、変化を感じ、沢山の知識と確信を得た2年間でした。
 だけども最後まで分からなかった事があった。

《音の響きを聴くこと》

 これはピアノを学習し始めて以来、各先生から言われ続けてきたことです。パリ時代に師事したBilly先生はこの点について、非常に具体的に説明をしてくれた稀な方でした。しかしそれでも僕には、音の"なにを"聴けばいいのかが分からなかった。
 でもね。最後の最後に分かったんです。
 留学最後コンサートのリハーサル中に、あぁこれを聴けばいいのか!!って言う感覚が。もふもふっと。

 コンサート後日に、友人から伝え聞いた先生の言葉には最高に感動しました。

『昨夜は特別なコンサートだった』


▼だからこそ僕は、意味があると思う

 僕はピアノを意地で弾いていました。負けるのが悔しくて、どうしていいのか分からないのが悔しくて、もがき苦しんでいました。しかし、そうしていく中で出会いがあり、気付きがあり、そしてついに音楽の喜びを知りました。これは知識を得る喜びであり、発見の喜びであり、なにより成長を実感する喜びです。

 僕はこれを伝えたい。僕の中に知識・経験として蓄えられ、そして"体系化された認識"となったこの成長を共有したい。そして共に成長していきたいと思います。
 更に、この成長の力は音楽業界に限らず、異業種の方とでも分かち合えるものと信じています。ピアニストとしての枠組みを越えて、内なる可能性を刺激する音楽家でありたいと思います。
 僕はまだまだ成長します。今もまた新しい成長を実感しています。これからも成長を続けます。

 成長し実感する事、それが最上の喜びです。
 僕はいま、クラシック音楽を愛しています。

僕はクラシック音楽が好きじゃなかった。<ブリュッセルでの日々>

前回の続き

▼ブリュッセル時代・ベルギー王立音楽院(仏)

 「この入試に落ちたら、さすがに見込みないしな、ピアノやめるかな」

 音楽院の入学試験にはそんな心持ちで臨みましたが、無事に合格。よかった。

 修士時代に最も苦労したのはピアノではなく、一般教養の勉強・筆記試験です。
 音響学・社会学・心理学・法律・音楽史....etc。はっきり言って、フランス語の授業なんて一つも分からないわけで。。。テスト期間では、シラバスを何回も何回もノートに書き写して勉強をしました。おかげで腱鞘炎に!!(←ピアノでなったことがないのに)
 この勉強のおかげで、フランス語の能力は格段に上がりました。いま、多少なりともフランス語の書籍を読むことができるのは、この時の努力の賜物です。

 ピアノ演奏の面では試行錯誤の日々でした。技術面での成長はありましたが、音楽的な成長を感じられる事はありませんでした。だからこそ音楽院の卒業も迫りかけた頃に、留学生活をこれで終えていいのかと言う疑問が湧いてきたのです。

 "これで最後だ"と親に頼み込んで、"隣の"ベルギー王立音楽院(KCB)に入学するのでした。

▽古楽との出会い

 Bruxellesでの4年間での重要な変化の一つに"古楽との出会い"があります。
 そこでは縁があってルームシェアをしていたのですが、そのお相手の方がバロック・フルート奏者の方でした。その方やその周りの古楽奏者の友達との交流は、僕の音楽に対する見方・興味に多大な影響を及ぼしました。
 ほぼ毎日の夕飯時には音楽に関して、音楽が生まれた時代の奏法や習慣についての話を聞くことのできた貴重な時間でした。ここでの交流は、僕の飛躍から覚醒に至るまでの重要な足掛かりになったと感じています。


▼Koninklijk Conservatorium Brussel・飛躍から覚醒へ

 Post Graduatに入学し、ここでPiet Kuijiken教授と2年間を過ごすわけです。彼の最初のレッスンで言われた事は忘れません。

「君は頭がいいし、僕は君に良い影響を与えることが出来ると思う。だからきっと"君の人生が変わるよ"」

 今までこんなに心強い言葉を貰ったことはありませんでした。そして事実、彼は僕のピアニストとしての人生を変えたわけです。

 彼は僕に、楽譜の読み方を教えてくれました。それは、これまで受けたどのレッスンとも違うものでした。僕の中でバラバラに蓄積されていた情報が一気に統合されていく日々は、発見の日々であり、喜びの日々でありました。
 でも全てが順調であったわけではありません。本当に何回も成長の壁にぶつかって、これ以上は無理かもしれないと何度も思いました。挫けました。その分だけ成長も感じられたのですが、その分だけまた壁にぶつかるという日々でした。

▼留学最後のコンサートにて

 とてつもない成長を実感し、変化を感じ、沢山の知識と確信を得た2年間でした。
 だけども最後まで分からなかった事があった。

《音の響きを聴くこと》

 これはピアノを学習し始めて以来、各先生から言われ続けてきたことです。パリ時代に師事したBilly先生はこの点について、非常に具体的に説明をしてくれた稀な方でした。しかしそれでも僕には、音の"なにを"聴けばいいのかが分からなかった。
 でもね。最後の最後に分かったんです。
 留学最後コンサートのリハーサル中に、あぁこれを聴けばいいのか!!って言う感覚が。もふもふっと。

 コンサート後日に、友人から伝え聞いた先生の言葉には最高に感動しました。

『昨夜は特別なコンサートだった』


▼だからこそ僕は、意味があると思う

 僕はピアノを意地で弾いていました。負けるのが悔しくて、どうしていいのか分からないのが悔しくて、もがき苦しんで来ました。しかし、そうしていく中で出会いがあり、気付きがあり、そしてついに音楽の喜びを知りました。これは知識を得る喜びであり、発見の喜びであり、なにより成長を実感する喜びです。

 僕はこれを伝えたい。僕の中に知識・経験として蓄えられ、そして"体系化された認識"となったこの成長を共有したい。そして共に成長していきたいと思います。
 更に、この成長の力は音楽業界に限らず、異業種の方とでも分かち合えるものと信じています。ピアニストとしての枠組みを越えて、内なる可能性を刺激する音楽家でありたいと思います。
 僕はまだまだ成長します。今もまた新しい成長を実感しています。これからも成長を続けます。

 成長し実感する事、それが最上の喜びです。
 僕はいま、クラシック音楽を愛しています。


僕はクラシック音楽が好きじゃなかった。<高校から大学・フランスへ>

今回は、自分語りを。長々と手短に。
僕が音楽家になるまでの14年間の変化について。

▼意地で続けてきた音楽

 僕が真剣に音楽に取り組み始めたのは高校受験の時。音楽を専門にする高校があると聞き、勉強より音楽の方が"楽"かなぁと思って受験をしたのでした。
 しかし、当時受験の為に通った先生から「この子は受からない」と言われていて、あきらめるように促されていたのですが、諦めきれずに他の先生を紹介してもらうような始末でした。
 そして泣き泣きの猛練習の末、なんとか合格したのですが、先生から「あなたは40人中40番目で入学しました」と言われたのを鮮烈に覚えています。
 それからは、自分よりも評価の高いやつらに負けるのが悔しくて、いい点数をとるために音楽をしていました。「絶対こんなやつに負けているわけないのに、なんで俺は良い点数じゃないんだ!!」などと思っていました。
  そんな高校での日々の結果、大学も音楽大学へと進むわけですが、そこでもまた紆余曲折あり、叩き落とされる経験をするわけです。

▼大学時代

 大学は、それから長く付き合う事となる友人に出会えた素晴らしい場所でありました。しかし同時に、とにかく辛い苦悶の時期でもありました。
 先生に習うことは実行しているはずなのに一向に上手くならない。それどころかドンドンと下手になっている気がする。練習の為にピアノに向かうと、背中の後ろから重たい物にのしかかられている様に感じる。自分のやりたい音楽が分からないどころか、何が楽しいのか、なにが正しいのか、なにが美しいのか、そしてどうしてそうするのかが全く分からない。
 とりあえず和音の上の音を出して、リズムを正確に弾いて、、、こんなんで自分はピアノを弾いている意味はあるのか。自分の良いところはどこなのか。
 自信も失くし、悔しさと憤りと屈辱感だけが募る日々でした。

 いまから思うと、実はこの時代が僕の原点となっていて、「自分のような生徒を少しでも減らしたい」と思うきっかけとなる日々でしたが、戻りたくはない日々です。

▼海外へ

 大学4年になり進路について考えていた頃でした。それまでは考えもしなかったのですが、知人の勧めで海外留学を考え始めます。大学四年の5月頃だったかと思います。自分の中でも、このままでは大学院には進めないという閉塞感があり、その折に「また二年間ココに通い続けるの?」「若いうちの、感動の力があるうちに海外に行って欲しい」という言葉に背中を押してもらい、留学へ向けて動き始めます。
 今となっては、僕の人生を変えた素晴らしい選択でしたが、当時は先の見えない模索の中の選択でした。

▼ナンシー国際音楽祭

 まずは先生探しとして日本でマスタークラスを受けました。そこで運よく「この先生に習いたい」という方に出会い、引き続きレッスンを受けるために夏の講習会に赴きます。

 初めての海外。飛行機。。。

 夕方にパリ東駅に着き、言葉も分からない、なにを食べていいのかも分からない中、東駅で買ったサンドイッチとビールの味は格別でした。"これからここで生活していくんだ"と思いながら見た景色は目に焼き付いています。
 翌日ナンシーへ移動して講習会も始まるわけですが、フランス語なんかド初心者な僕は、先生がなにを言っているのかサッパリな訳です。通訳は頼みませんでした。それでもどうにか雰囲気とジェスチャーを汲みとって理解しました。

 そうだ。いい思い出として。
 講習会期間中に突然の雨が降ったことがありました。
 いわゆるゲリラ豪雨だったのですが、雨が止んだ後に、ナンシーの石畳を流れる水は、太陽に輝いてとても幻想的でした。教会に入ってみると、ステンドグラスが日差しを受けて、やわらかい彩りを表現していました。
 留学を決断してよかったと思った、一つの瞬間でした。

▼フランス時代・パリ

 パリ生活一年目は、これもまた叩き落とされて始まります。当初目指していたパリ地方音楽院には入れず、エコールノルマル<école normale musique de Paris>へと入学します。

 一年目はすべてが混乱のなかにありました。部屋探し・ピアノ探し・ビザ・ビザ・visa・visa....とにかくあっという間に過ぎ去った一年です。

 二年目は前年の念願を果たし、パリ地方音楽院に入学します。
 ここで2年間お世話になったのが恩師、Billy Eidi先生です。素晴らしい人格者であり、教育者であります。彼の音は、ナンシーの教会で目にした光そのものです。

 彼の手により、僕のピアニストとしての土台作りが為されました。
 音の聞き方・タッチについて・楽譜を読むことについて。すべての音楽に関する土台が、彼によって形作られました。この頃やっとで少しずつ、音楽のやり方が分かりはじめ、もっと上手に弾きたいと思う気持ちが芽生え始めた頃でした。まるで畑の土を丁寧に耕すような日々だったと思います。

 しかし残念ながら学校の規定で2年間しか在学できなかったので、次の学校について検討を始めます。ふと、「音楽で生きていくには修士は最低限必要」との言葉を思い出し、フランス語圏で修士過程を模索し始めるのでした。


続く≪ブリュッセルでの日々

2018年1月24日水曜日

音楽のキキ方。クラシック音楽って、なんかよく分らない?

 さて。僕はこう見えてもピアニストなのですが。(どう見えているかは置いておいて)
 こう見えてもピアニストなので、※クラシック音楽の面白さや、西洋音楽芸術の楽しみ方を、少しは心得ていると自負しております。
 しかしながら、音楽を専門としていない方の中には、西洋音楽芸術をどのように理解していいのか分からないと漏らされる方も多く見受けます。
 
 そこで今回は、【クラシック音楽の観賞のキキ方】について、自分なりの考え方を記します。

※僕は"クラシック音楽"の邦訳として"西洋音楽芸術"がふさわしいと思っています。
 我々の扱うレパートリーの多くが西洋のものであり、当たり前のようではありますが、西洋で発展してきた音楽の芸術という事で、より具体的にイメージを喚起して説明できる呼称だと考えています。
 その上で、しかし今回は、文章の読み進めやすさを考慮に入れて"クラシック音楽"と記します。

▼クラシック音楽は、聴くものなのか。それとも、聞くものなのか。

 ここからが本題。クラシック音楽は「聴く」のか「聞く」のか。おそらく多くの方がクラシック音楽を「聴く」を選択されるのではないでしょうか。
 
 「聴く」を英語にするとListenです。

 僕の思うに"聴く"の中に含まれる意味として「そこから何かを理解する」とか、「なにをしたいのかを感じ取る」。もしくは「一音一音に集中して逃さないようにする」など。音楽に対して自ら働きかけたり、なにかしらの答えを見つけようとする意味合いが含まれているように思います。

 たしかに、音楽家としての僕がクラシック音楽を聴くときには、その演奏者がどのような意図で解釈を行うのかなどを、自らの知識と経験に基づいて分析しながら聴いている節があります。そして、演奏者がその曲に対して込めた情熱を感じ取り、良いところを見つけてその意図を理解しようとしています。

 上記のものは一例ですが、おそらくこの様な姿勢で音楽に接する事が音楽を聴くという事なのではと思っています
 するとでは一方で、クラシック音楽を「聞く」とする漢字は間違っているのでしょうか。


▽否。僕はクラシック音楽を「聞く」も正しいと考えています。いったい全体、それはどういうことなのか。。。

 「聞く」に該当する英語はhearでしょう。

 この漢字の使い方は「音楽が聞こえて来る」や「その話を聞く」など。ほかに「聞き流す」とは書きますが「聴き流す」とは書きませんね。この態度は、その物事の細部を理解しようと努めるよりも、全体として漠然と内容を把握する姿勢ではないでしょうか。

 また、例えば「私はクラシック音楽を聞いている」だと普段の習慣のようにも取れますし、漫然と聞き流しているようにも受け取れます。耳を一生懸命そばだてている感じはしませんが、しかしそれでも、僕はクラシック音楽を「聞く」も正しい考えています。


 では、クラシック音楽の「聞き方」とは、どのような姿勢なのでしょうか?


▽例えば想像してみてください。

 あなたは緑の多い公園でベンチに座っています。
 あたたかい日差しのもとで、芝生の上では子供と犬が元気よく走り回っています。
 気持ちの良い風が通り過ぎ、草木がかすかに揺れています。
 その時に聞こえて来るのは、風の通り過ぎる音。
 とても気持ちの良い、リラックスした状態ではないでしょうか。

 さて、この時にあなたは、風の通り過ぎる音を"聴こう"とはせずに、浴びるように音を"聞いている"のではないでしょうか。

 クラシック音楽を"聞く"とは、このような音楽との向き合い方の事と思います。

▽レストランの料理に例えてみましょう。

 あなたはお気に入りのレストランにいます。
 あなたの食べたい料理を注文し、
 少し待っていると美味しそうな料理が運ばれてきました。
 早速あなたは料理を口に運び、その味をゆっくりと楽しんでいます。

 さて、この時にあなたは、
「火の通し具合はどうかしら?」
「調味料の割合はどのくらいかしら?」
「風味付けの香草は何を使っているのだろう?」と考えているでしょうか。

 それよりも、その料理の「おいしさ」をリラックスした気分で感じているのではないでしょうか。

 美味しい。嬉しい。楽しい。

 一方で、火の通し具合や調味料について考えを巡らせている方は、「その料理を聴いている」方なのだと思います。

 では、この二つのどちらの食べ方が、正しい料理の楽しみ方なのでしょうか。
 言うまでもなく、それぞれの楽しみ方があって良いですよね!!

∴なぜ今回このようなまどろっこしい記事を書いたかと言えば、それはクラシック音楽のキキ方に、制限を持たないで欲しいと思うからです。

 クラシック音楽を分からないと思われている多くの方は、クラシック音楽を聴いてそれが何かを理解し感じ取り、自分の感性が豊かになるように、成長の機会を役立てなくてはいけないーーーーー。と思われているのではないでしょうか。(誇張して書いています)

 しかしクラシック音楽は、あなたが聴こうと思わずに音に身を任せて聞いていても、それだけで楽しく心地よいものなのです。

 それは丁度、気持ちの良い風を感じるように。美味しい料理を食べるように。
 何かを理解しようとしなくても、そのままリラックスして楽しんで頂いて良いのです。
 そして、あなたがそのままで心地よく快く浴びるように受け取ってくれれば、それだけで、あなたの心の筋肉になってくれるものなのです。


☆ただし二点だけ、上記の点には条件が付いています。

①料理のおいしいレストラン(良い演奏である事)である事。
②二つ目は、あなた自身が味音痴でない事です。

 一つ目は、実は意外と目を向けられていない問題なのではないでしょうか。
 クラシック音楽の演奏家だってピンキリです。それはレストランの全てが美味しいお店ではない事と同じです。これがクラシック音楽だからと言って、あなたが「これは美味しくない」と言ってはいけない理由にはならないのです。

 二つ目は、先述の「ただ身を任せればよい」と矛盾するように思われるかもしれません。しかし、あなたが塩か砂糖か分からないようなら、豚肉か牛肉か分からないようでは、さすがに美味しいもまずいもない訳です。

 しかし、もしもこの点について心配のある方は、普段のご自分を思い起こしてみてください。
 例えば読書をしているだとか、何かについて情熱を燃やしているだとか、専門の勉強をしているだとか、会社でプロジェクトを成功させたいだとか、映画を楽しいと思うだとか、花を綺麗だと思うだとか、誰かを大切にしたいと思うだとか等々等々。。。

 例えばそんな事を思える方なら、必ず音楽の美味しさを分かることが出来ます。だから自信を持って音楽を聞きに来て下さい。

 深呼吸をして、自分を真っ白にして、音楽を浴びてみてください。きっと美味しい音楽は、あなたの心の筋肉になります。

▽一方で音楽の聴き方を知っている方は、どんどんと音楽の楽しさを追求されて、自分の美味しい音楽を既にご存知と思います。それは素晴らしい事ですね!

 僕は、クラシック音楽を聴くのも聞くのも、どちらも正しいとは考えています。