2018年2月5日月曜日

僕はクラシック音楽が好きじゃなかった。<ブリュッセルでの日々>

前回の続き

▼ブリュッセル時代・ベルギー王立音楽院(仏)

 「この入試に落ちたら、さすがに見込みないしな、ピアノやめるかな」

 音楽院の入学試験にはそんな心持ちで臨みましたが、無事に合格。よかった。

 修士時代に最も苦労したのはピアノではなく、一般教養の勉強・筆記試験です。
 音響学・社会学・心理学・法律・音楽史....etc。はっきり言って、フランス語の授業なんて一つも分からないわけで。。。テスト期間では、シラバスを何回も何回もノートに書き写して勉強をしました。おかげで腱鞘炎に!!(←ピアノでなったことがないのに)
 この勉強のおかげで、フランス語の能力は格段に上がりました。いま、多少なりともフランス語の書籍を読むことができるのは、この時の努力の賜物です。

 ピアノ演奏の面では試行錯誤の日々でした。技術面での成長はありましたが、音楽的な成長を感じられる事はありませんでした。だからこそ音楽院の卒業も迫りかけた頃に、留学生活をこれで終えていいのかと言う疑問が湧いてきたのです。

 "これで最後だ"と親に頼み込んで、"隣の"ベルギー王立音楽院(KCB)に入学するのでした。

▽古楽との出会い

 Bruxellesでの4年間での重要な変化の一つに"古楽との出会い"があります。
 そこでは縁があってルームシェアをしていたのですが、そのお相手の方がバロック・フルート奏者の方でした。その方やその周りの古楽奏者の友達との交流は、僕の音楽に対する見方・興味に多大な影響を及ぼしました。
 ほぼ毎日の夕飯時には音楽に関して、音楽が生まれた時代の奏法や習慣についての話を聞くことのできた貴重な時間でした。ここでの交流は、僕の飛躍から覚醒に至るまでの重要な足掛かりになったと感じています。


▼Koninklijk Conservatorium Brussel・飛躍から覚醒へ

 Post Graduatに入学し、ここでPiet Kuijiken教授と2年間を過ごすわけです。彼の最初のレッスンで言われた事は忘れません。

「君は頭がいいし、僕は君に良い影響を与えることが出来ると思う。だからきっと"君の人生が変わるよ"」

 今までこんなに心強い言葉を貰ったことはありませんでした。そして事実、彼は僕のピアニストとしての人生を変えたわけです。

 彼は僕に、楽譜の読み方を教えてくれました。それは、これまで受けたどのレッスンとも違うものでした。僕の中でバラバラに蓄積されていた情報が一気に統合されていく日々は、発見の日々であり、喜びの日々でありました。
 でも全てが順調であったわけではありません。本当に何回も成長の壁にぶつかって、これ以上は無理かもしれないと何度も思いました。挫けました。その分だけ成長も感じられたのですが、その分だけまた壁にぶつかるという日々でした。

▼留学最後のコンサートにて

 とてつもない成長を実感し、変化を感じ、沢山の知識と確信を得た2年間でした。
 だけども最後まで分からなかった事があった。

《音の響きを聴くこと》

 これはピアノを学習し始めて以来、各先生から言われ続けてきたことです。パリ時代に師事したBilly先生はこの点について、非常に具体的に説明をしてくれた稀な方でした。しかしそれでも僕には、音の"なにを"聴けばいいのかが分からなかった。
 でもね。最後の最後に分かったんです。
 留学最後コンサートのリハーサル中に、あぁこれを聴けばいいのか!!って言う感覚が。もふもふっと。

 コンサート後日に、友人から伝え聞いた先生の言葉には最高に感動しました。

『昨夜は特別なコンサートだった』


▼だからこそ僕は、意味があると思う

 僕はピアノを意地で弾いていました。負けるのが悔しくて、どうしていいのか分からないのが悔しくて、もがき苦しんで来ました。しかし、そうしていく中で出会いがあり、気付きがあり、そしてついに音楽の喜びを知りました。これは知識を得る喜びであり、発見の喜びであり、なにより成長を実感する喜びです。

 僕はこれを伝えたい。僕の中に知識・経験として蓄えられ、そして"体系化された認識"となったこの成長を共有したい。そして共に成長していきたいと思います。
 更に、この成長の力は音楽業界に限らず、異業種の方とでも分かち合えるものと信じています。ピアニストとしての枠組みを越えて、内なる可能性を刺激する音楽家でありたいと思います。
 僕はまだまだ成長します。今もまた新しい成長を実感しています。これからも成長を続けます。

 成長し実感する事、それが最上の喜びです。
 僕はいま、クラシック音楽を愛しています。


0 件のコメント:

コメントを投稿