2016年3月22日火曜日

ピエール・アンタイ チェンバロリサイタル clavecin 

 今日はチェンバロ奏者のPierre Hantaïのリサイタルを聴いてきました。ので、ちょっとだけ感想を。

 プログラムはこちら↓

 Prélude, fugue et allegro, BWV 998
Johann Sebastian Bach
 Choral "Jesus, meine Zuversicht", BWV 728 Johann Sebastian Bach
 Suite anglaise n° 4, BWV 809 Johann Sebastian Bach
 Sonata, BWV 964 Johann Sebastian Bach

▼3月21日はJ.S.Bachの誕生日だったんですね。(ユリウス暦による。1685-1750)
 それもあり今回のプログラムでは、そのすべてをバッハに割かれました。
 実は、本格的なチェンバロのリサイタルを聴くのは初めてだったのですが、本当に行ってきてよかった。ごめんなさい。感想を書くと言っておいて、ちょっと言葉には出来ない興奮を覚えるリサイタルでした。
 弦を引っ掻いて出すチェンバロの心を突き刺すような音と、石造りの教会にちょうどよく響く残響。そして、彼の音楽に対する熱がダイレクトに耳に伝わってきて、心を揺さぶられました。

 楽器としてのチェンバロの素晴らしさも再認識しました。
 現代のピアノと比べると鍵盤の数が少ないはずなのに、現代のそれを凌駕する音域の深さと奥行き。音の減衰から生まれる浮遊感。楽器の構造的に音の強弱は付けられないはずなのに、これを音符の数で音色に厚みを持たせる作曲技法。音の長短で強弱を表現したり、レガートでペダルのような効果を生み出す演奏技法。本当に奥が深い楽器です。

 アンコールではスカルラッティのK.175を弾いてくれました。ギターをかき鳴らすような弾き方と不協和音の組み合わせが最高。バロックの時代って整っているだけでなく、実は不協和音を効果的に用いて、心へ訴え掛けるように作曲された曲が多いんですね。だから、思っている何倍も演奏効果は自由で、躍動的なんです。それが今の時代にあっても斬新な印象を与えてくれます。

▽そういえば演奏会の最中不意に、本当に突如として、なんで勉強ってしなきゃいけないのか?と云う事を悟りました。
 算数にしても国語にしても何にしても、あれは自分の中の"感覚の幅"を広げる為に絶対に必要なんです。よく言う"感性"ってやつですね。その感性を形作るための基礎が勉強なんです。例えば2倍ってなんなのか。2×2=4って何なのかを知らなければ、他の物事を感覚的に捉える土台の一つが失われているって事だと思うんです。
 だから、生きていく為の実用に適うから勉強するんじゃなくて、そういう小さいものを積み重ねて感性を育むために勉強って必要なんだなと。本当に突如として悟りました。なんのこっちゃ。

 さて、話によると日本で行われるラ・フォル・ジュルネでも彼は演奏するのだとか。チケットはまだあるのかな??機会があれば、是非とも足を運んでみてくださいね。

 
 

0 件のコメント:

コメントを投稿